木村草太の憲法の新手(92)判事処分の恣意性と矛盾 表現の自由に深刻な悪影響 - 沖縄タイムス(2018年11月18日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/346360
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東京高等裁判所岡口基一判事に対する懲戒処分には、「手続き保障なく一人の裁判官を処分した」というのに止まらない問題がある。今回はこの点を検討しよう。
第一に、事実認定の恣意(しい)性。
岡口判事はツイッターに、「公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返して下さい』え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら…、裁判の結果は…」と書いた。最高裁は、「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?」の部分は、「一般の閲覧者の普通の注意と閲覧の仕方とを基準」としたとき、岡口判事自身が「訴訟を上記飼い主が提起すること自体」を非難したものと読めると認定した。
しかし、前後の流れからすると、この文は、「返して下さい」という原告の主張に対して、「被告側は、『原告は犬の所有権を放棄したのではないか』と反論した」という事実を指摘したものと理解するのが自然だろう。また、百歩譲って、岡口判事の個人的見解を示していると理解したとしても、この文の主題は、あくまで「犬の所有権」であり、「訴訟の提起」自体の是非を論じたものではない。
このように、岡口判事のツイートを、「訴訟提起自体が不当であるとの見解を示した」と認定するのはあまりにも不自然だ。もしもこうした認定が許されるなら、一般人の発言や文書についても、その意味内容を曲解し、名誉毀損(きそん)や侮辱、著作権侵害などを認定できてしまう。これは一般市民の表現の自由への深刻な脅威だ。
第二に、補足意見の論理矛盾。 山本庸幸、林景一、宮崎裕子の三裁判官による補足意見は、岡口判事が、過去に二回、ツイッターの投稿を巡り厳重注意を受けたことを指摘した上で、過去のツイートは「本件ツイートよりも悪質」だと断じた。岡口判事の悪質性を指摘する、一見もっともらしい指摘に思えるが、よく考えてみてほしい。より悪質な過去のツイートでは「注意」がされたのみなのに、なぜ本件では「懲戒処分」という重い処分が許されるのか。これは、明らかな論理矛盾であり、今回の処分が根拠薄弱だと自白するようなものだ。
補足意見自体、この矛盾を自覚しているのか、今回の処分は、今回のツイートだけではなく、過去に問題とされた行為と「同種同様の行為を再び行ったこと」が根拠だと言い訳する。しかし、懲戒申立書が懲戒理由として指摘したのは、「犬の元所有者の感情」のみだ。それにもかかわらず、過去のツイートを考慮して処分理由とすることは、明らかな論理矛盾だ。この補足意見の公表は、裁判所に対する国民の信頼を大きく損ねるもので、不適切だろう。
三裁判官が、このような無理な補足意見を書かざるを得なかったのは、申立書の理由のみでの処分は失当だと直感したからかもしれない。その点には同情もする。しかし、もしそうであるなら、「この申立内容では、懲戒処分はできない」との反対意見を書くべきだった。
本決定の無理な事実認定は、市民の表現の自由に深刻な悪影響を与え、補足意見の矛盾は裁判所の信頼を損ねる。最高裁は猛省すべきだ。(首都大学東京教授、憲法学者