(筆洗)堺屋太一さんが亡くなった - 東京新聞(2019年2月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019021102000138.html
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十三歳の少年は白黒テレビを熱心に見つめていた。テレビの中で、大道芸人が曲芸を披露している。少年は興奮した。一九四八年、大阪で開かれた「復興大博覧会」。その目玉が白黒テレビだった。
博覧会の魅力が忘れられなかった少年はやがて通産官僚となって、七〇年の大阪万博開催に奔走する。大阪万博の生みの親の一人で経済評論家、作家として活躍した堺屋太一さんが亡くなった。八十三歳。
戦後のベビーブーム生まれを「団塊の世代」と名付けたのもこの人なら、規格大量生産に走る当時の風潮を子どもの好物で表現した「巨人、大鵬、卵焼き」も官僚時代のこの人。先見性とアイデアに加え耳目を集める表現の人でもあった。
団塊」とは地質用語で、地層中にある周囲とは異なる成分を持つ塊のことをいう。万博に通産省は当初冷ややかで、上司は「やるのなら辞表を書いてからにしろ」と迫ったそうだ。断固拒否した。自身こそ周囲に染まらぬ異なる成分の人だったのだろう。
日本のイノベーション力の低下について「人生を安全第一と考え、独創と挑戦を回避していないか」と嘆き、特に中央官僚には「『内』の評判ばかり気にしている」と気をもんでいた。
東日本大震災後の日本を幕末、第二次世界大戦後に続く「第三の敗戦」にあると見ていた。敗戦から立ち上がるヒントをもっと教えていただきたかった。