(筆洗)化け物が横たわっている。青みどろの巨体。「君はなにかねときいてみるとその異胎は声を発した。『日本の近代だ』」 - 東京新聞(2015年8月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015081502000120.html
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化け物が横たわっている。青みどろの巨体。「君はなにかねときいてみるとその異胎は声を発した。『日本の近代だ』」。作家の司馬遼太郎さんが『この国のかたち』の中で書いた。
化け物は一九〇五年の日露戦争の勝利後から四五年の太平洋戦争の敗戦までの時間が形になったものであり、それが日本を侵略、戦争という誤った道へ導いたという。
終戦記念日である。しからば、敗戦から現在までの七十年間はどんな形だったのか。平和と民主主義は一応は維持されている。されど強く揺さぶれば、もろく崩れる砂の精霊を空想する。日本が精霊を生き残らせた奇跡とそれを未来永劫(えいごう)、守っていかねばならぬ困難さに心を新たにしたい。
安倍首相の戦後七十年談話を読む。化け物を再び里へ呼ぶ気配は感じられぬとは楽観がすぎるか。されど、大戦への「おわび」に慎重だった首相の過去の言動とは異なろう。変化が平和を希求する国民の意思によるものとすれば、化け物を封じる方法も見えてくる。
戦争の記憶は薄れる。それは砂の精霊を殺し化け物を甦(よみがえ)らせる危険が増えることでもある。七十年という大きな節目に限った平和論ではなく、化け物封じを唱え続けねばならぬ。
「君は生きているのか」。「おれ自身は死んだと思っている。しかし、見る人によっては生きているというだろう」。化け物は決して死んではいない。