(筆洗)詩人の大岡信さん - 東京新聞(2017年4月7日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017040702000145.html
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詩人の大岡信さんは、「不思議」という言葉が何となく好きだったという。三十年前には、自分が生まれた情景をうたったこんな詩を書いた。


真赤になつて
盥(たらい)の中でわめいてゐる僕…
御国の宝がまた一人
軍国の田におんまれなすつた
爆死もせず 号令もかけず
銃剣で人をあやめもせず
やつてこられた僥倖(ぎょうこう)が
まだぶよぶよの状態で
盥の中でわめいてゐる
逆さ眼鏡でじつとその子を見てゐると
ただただ 不思議に 怖ろしい。


大岡さんが生まれた一九三一年、満州事変が起きた。少年時代はずっと戦争で、いずれ戦死すると思っていたから、「将来」とはせいぜい二十歳までのことだった。
だが十四歳の夏、戦争は終わった。「殺し、殺される」ことから逃れ得たことへの放心するような不思議な思い。そんな感覚を原点に、大岡さんは敗戦の翌年から詩を書き始めたという。
詩集『詩とはなにか』で大岡さんはうたっている。


ただ一度でいい
わが詩のなかに閉ぢこめたいと願つてゐる
幼い子が仔猫(こねこ)とならんで
草の葉に宿る露を
じつと見あげて動かない
あの無防備な
見てゐる者を悲しくさせる
何も語つてゐないほど深いまなざし


八十六歳で逝くまで探り続けたのは、「言い尽くすことはできないけれども、言い尽くしたいという気持ちを沸き起こらせる」言葉の不思議だったのだろう。