(筆洗)お年を召した方に年齢を聞いたときはこんな引き算をしてみる - 東京新聞(2016年2月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016021702000146.html
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お年を召した方に年齢を聞いたときはこんな引き算をしてみる。年齢から今年ならば七十一を引く。七十一年前とは無論、敗戦の年である。目の前にいる方が敗戦の日にいくつだったのかを考える。
そのときはどんな顔だっただろう。泣いていたか。お下げ髪だったかもしれない。ご苦労があったことだろう。泣いて笑って戦後の長い道を歩き続けて「現在」にたどり着いた。
奇妙な引き算だが、ちょっと優しくなれるものだ。そう信じる。今、目の前にいるのは「あの日」の少年、少女。その空想によって、その方が実にいとおしく、同じ道をたどる人として、切なくも見えてくるはずだ。
二年前の事件なので引く六十九か。老人ホームで当時八十七歳の男性と八十六歳、九十六歳の二人の女性が死亡した。元職員が殺害を認めている。あの日の十八歳の少年、十七歳の少女、二十七歳のお嬢さんである。
<ベランダから投げ落として>。その道程の終わり方はあまりに残酷で、やりきれぬ。事件の真相解明を待つが、われわれは心の闇が忍びこみやすい介護の在り方をもう一度点検しなければなるまい。
ひとまず横たわっている方の若き日の写真をベッドの脇に飾るとしよう。飛びきり幸せに見える写真を。その人は長き道を歩き続けた人生そのもの。写真の笑顔に、誰もがあの優しい引き算でわれに返る。そう祈るしかない。

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