<銃を手にして… ウガンダの子ども兵>(1)元少女兵の告白 命奪う引き金、軽かった - 東京新聞(2018年9月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201809/CK2018091602000141.html
http://web.archive.org/web/20180916133637/http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201809/CK2018091602000141.html

アフリカ東部ウガンダの首都カンパラから車で五時間。北部最大の街グルは、赤土がむき出しで、ほとんどの家に電気、ガス、水道がない。薄暗い部屋に陽光が差し込むと、ビッキー(32)のガラスの義眼が一瞬、光った。「政府軍の銃弾が首から入り右目を貫通した。二発目はあごに残った」。北部民族アチョリ人の反政府組織「神の抵抗軍」(LRA)の兵士として政府軍と戦っていたビッキーは、このケガで「戦力外」となり、二〇〇八年に解放された。
LRAは一九九〇年代半ばから約十年間で推定三万八千人の子どもを拉致し、戦闘員や性奴隷として使った。ビッキーが拉致されたのは十五歳の時。すぐに、四十歳ほどの司令官と結婚させられた。「生きるために従った。下品で慈悲のない男だった。今も、憎い」
約三十人の部隊で密林を絶えず移動、自動小銃を手に政府軍と交戦した。やがて身ごもり、年上の女性兵士に助けられながら、密林の中で男児二人を産んだ。
拉致から一年半後、十六歳と十三歳の少女が部隊から脱走を試みた。兵士は二人を連れ戻すと、全員の前でその手足を縛り上げ、ビッキーに処刑を命じた。
「私がとてもおびえていたので、兵士は私を選んだ。やるしかなかった。二人の頭を撃った。銃はとても重かったが、引き金は軽かった」
消え入りそうな声で話すアチョリ語は、ポロポロと鳴る民族楽器の音色のように美しく、語られる惨劇とのギャップに戸惑った。 (敬称略)

◆10代、戦場で過ごした
ウガンダの反政府組織「神の抵抗軍」(LRA)は、旧ソ連開発の自動小銃AK47(通称カラシニコフ)を好んだ。グルの街で、カラシニコフを手に取った。持ち主の男は「古いが、丈夫な銃だ。パーツを分解し組み立てられれば、一日の訓練で扱えるようになる」と、事もなげに言う。
全長約一メートルのねずみ色の銃は、ずしりと重かった。三十発入りの弾倉を付けた重さは約五キロ。水平に構えるだけで手が震える。弾倉を外し、引き金を引いた。今度はその、おもちゃのような軽さにぞっとした。人さし指一本で簡単に人が殺せる。だから、LRAはこの銃を子どもに手渡した。
アレックス(32)は八歳でLRAに拉致され、十歳で戦場に立った。「初めて銃を持たされた日、密林の切れ目で戦闘が始まった。敵の姿は見えず、泣き声と銃声しか聞こえなかった。銃は重くて、一発も撃てないまま右足を撃たれた」
十二歳の時、一カ月の戦闘で三百人以上の遺体を見た。「自分が誰かを殺したかどうかも分からない。殺さなければ殺される、殺せ、とだけ教えられた」。十三歳で左脇腹を撃たれた。「七カ月間、山に身を潜め、薬がないので湯をかけ続けた」
十四歳で政府軍の大規模な掃討作戦に遭う。「ヘリから投下された爆弾が花火のようにはじけた」。上の歯八本が飛び、舌が真っ二つに割れた。爆弾の破片が体中に刺さり、服が吹き飛び、真っ裸で倒れた。部隊は壊滅していた。
「一人、取り残された」。話しながら、冷静だったアレックスの様子が変わっていた。両手を広げ、充血した目を見開き、アチョリ語で訴え続ける。目が合っている気がしなかった。そこには、当時の戦場が映っていたに違いない。
「トマトを見つけ、はって行き、傷に搾り汁をかけ、食べた。腐り始めた遺体の隣で、自分もいずれこうなると悟った。神に、もし私が罪を犯したなら許してくださいと祈り、泣いた」
二〇〇九年までの拘束中、さらに左半身の三カ所を撃たれ、右目を失明した。その間、LRAと政府の和平交渉の場に立ち会ったことがある。仲介にあたったモザンビークのシサノ元大統領は、傷だらけのアレックスを見て「なぜ子どもを兵士にするのか」とLRA幹部に尋ねた。幹部は答えた。「子ども兵は大人よりも勇敢だからだ」 (敬称略、ウガンダ北部グルで、沢田千秋、写真も)

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アフリカでは今も、多くの子どもが兵士として戦場に駆り立てられている。ウガンダで銃を手に戦い、生還した元子ども兵の姿を追った。 (ウガンダ北部グルで、沢田千秋)

◆子ども兵世界に30万人
戦場に立つ「子ども兵」(十八歳未満)について、国連は世界で三十万人と推計する。二〇一八年五月の報告書では、十四カ国で政府軍を含む延べ六十五組織が子ども兵を使っていると公表。中央アフリカなどで活動を続ける「神の抵抗軍(LRA)」のほか、ナイジェリアのイスラム過激派「ボコ・ハラム」、過激派組織「イスラム国」(IS)などを挙げた。この時点で、ウガンダ内の組織の活動は確認されていない。

ウガンダコンゴ(旧ザイール)で帰還した元子ども兵を支援する日本のNPO「テラ・ルネッサンス」によると、子どもを拉致した組織は、殺人の強要や拷問、薬物などで服従を強いる。スパイや前線での弾よけ、地雷探知や荷物運びに使い、死んだら再び調達する「消耗品」のように扱うという。少女には強制結婚や性的虐待を強いている。
子ども兵には、無理やり連れ去られるほか、貧困などにより自ら志願する場合もあるが、健やかに育ち、教育を受ける権利を失っていることに変わりはない。
国連は〇〇年、十八歳未満の紛争への参加、強制徴兵を禁止する「子どもの権利条約」選択議定書を採択。日本を含む百六十七カ国が批准している。 (沢田千秋)



ウガンダ反政府軍> ウガンダは、植民地時代の英国の分断統治の影響を受け、1962年の独立後も、南北の民族の一方が政権を取ると、他方が反乱軍となる内戦を繰り返した。86年に誕生した南部出身のムセベニ政権下で、北部アチョリ人の虐殺が続く中、90年前後、霊媒師を名乗るジョゼフ・コニー指導者がアチョリの勢力回復を掲げ「神の抵抗軍」(LRA)を結成。ムセベニ政権はLRA制圧に同胞のアチョリ人を起用する一方、LRAは4万人近いアチョリ人の子どもを拉致し、2006年に同政権と停戦合意後も近隣国で活動を続けている。