(筆洗)当局のカメラ映像をだれでも見られるようにし、 - 東京新聞(2018年6月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018062902000148.html
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街を歩いている男性の携帯に友だちから着信があった。近くにはいないはずなのに、現在地を言い当てられた。手の中に小銭があること、さらにその額、車をどこに止めたかまでも。
手品じみた出来事のタネは、警察が管理している街頭の監視カメラにあった。ネット上で公開が始まった多数のカメラからの映像を友人は見ていたのだ。米紙ニューヨーク・タイムズが、今月伝えたところによれば、米東部ニューアークで、男性のようなことが実際に起きているという。
通常、映像は公開されないはずだ。しかし犯罪多発に悩むニューアークの警察は発想を変えた。当局のカメラ映像をだれでも見られるようにし、「怪しい出来事を通報してほしい」と呼びかける。
歓迎の声が上がっているという。一方で批判もある。当然だろう。相互監視の社会へ一歩踏み込んだように見えるからだ。いつだれに見られているか分からず、何かを報告されているかもしれない。オーウェルが名作『一九八四年』で描いた抑圧された社会さえ思わせる。自由の国米国で始まっているのにも驚く。
カメラはわが国でも増えている。事件解決や捜査の役に立つ例は実に多い。治安に欠かせないという点は大いにうなずける。
有用だからこそ踏み越えてならない一線が気掛かりになる。向こう側に行かないためにも米国の先駆的な取り組みの先が気になる。