(筆洗)「でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」 - 東京新聞(2016年11月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016111702000140.html
http://megalodon.jp/2016-1117-0952-36/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016111702000140.html

なにかの拍子で転んでしまった子どもがいる。だれもその子が起き上がるのを助けない。それどころか、その背中を踏み付けていくのである。痛いよ。そう声を上げているのにやめない。助けてくれそうな大人がいた。助けて。けれどもその大人たちも耳をふさぎ、背を向けた。
その子が小学生の時に身を置いた灰色の世界を思う。東日本大震災で故郷の福島県を離れ、横浜へ避難せざるを得なかった。待っていたのは原発事故を誤解し、福島から来たというだけで「ばいきん」扱いにした、冷酷ないじめである。
殴られ、蹴られ、お金まで取られた。訴えても、「せんせいに言(お)うとするとむしされてた」
中一になった男子生徒が公表した手記に言葉をなくす。被災し、励ましの掌(てのひら)を当てられるべきだった背中に加えられたのは冷たい拳である。それを学校や大人が放置した。
放射能はばいきん。自主避難者はたくさんお金をもらった。いじめにつながった誤解や偏見。それは大人や社会全体の誤解や偏見でもあろう。それが子どもに伝わったのか。やりきれぬ。
「死のうとおもった」「でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」。学校のだれもが目をふせても震災で犠牲になった故郷の人たちだけがこの子を見守っていてくれたか。生きよと諭してくれたか。晩秋の福島の空に手を合わせる。