公文書管理 廃棄できないルールに - 東京新聞(2018年6月6日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018060602000165.html
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学校法人「森友学園」での財務省の文書改ざんなどを契機に公文書管理の見直しを首相が指示した。国有地売却の文書なのに「廃棄した」との政府説明がなされた。廃棄させないルールが必要だ。
森友問題の核心は約八億円もの値引きがなされたことだ。そんな大問題であるのに国会での政府説明は「廃棄した」の言葉でまかり通った。文書の保存期間が一年未満であるとの理由からだった。
行政庁の職員が作成する文書は大別すると二種類ある。一つは閣議決定書や国会報告書、概算要求書などの正式文書。もう一つは業務連絡や問い合わせなどへの応答書などメモや備忘録である。前者は保存期間が一年以上で最長三十年である。後者は一年未満で各省の判断で廃棄できる。
公文書管理法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、文書の作成から整理、保存するルールを定めた。ところが、正式文書ができあがる「過程」であるメモや備忘録が廃棄されてしまうと、どのような意思決定のプロセスを経たのか、後から検証できなくなってしまう。
加計学園問題では昨年六月、「総理のご意向」と書かれた文書が見つかった。文部科学省では「存在が確認できない」としていたが、再調査で発見された。職員が備忘録として作った「個人メモ」の共有フォルダーの中にあった。これも廃棄が前提の文書ではなく、保存すべき重要な文書であるのはいうまでもない。
「本件は、首相案件となっており」という愛媛県の文書もそうだ。県職員らが首相官邸で、加計学園問題に関し、当時の首相秘書官から受けたアドバイスを備忘録として書き残した。正式な文書ではないが、当然、今後も保存すべき文書に当たる。
つまり、行政がどのように意思決定をしたか。その証拠、証明となる一枚一枚、一件一件のデータを蓄積しておくのが、公文書管理法の本来の趣旨なのだ。今回の不祥事で逆に官僚が残すべき行政文書を個人メモ扱いにし、一年未満で廃棄する恐れさえある。
だから、行政庁による恣意(しい)的な運用・廃棄がなされないように、すべての文書を保存した方がよい。もはや紙の時代は去った。電子文書は保管場所の問題は生じない。米国では電子メール記録まで管理される。メモ一枚にせよ、民主主義を成り立たせる重要な礎石なのである。