公文書判断 省庁に責任者案 「加計」「森友」で批判集中 - 東京新聞(2017年8月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201708/CK2017082102000122.html
https://megalodon.jp/2017-0821-1037-24/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201708/CK2017082102000122.html

政府は関係書類を行政文書として保存する可否を判断する責任者を各省庁に設置する検討を始めた。学校法人「加計(かけ)学園」や「森友学園」問題で公文書管理の在り方が問われたのを受け、責任の所在を明確化する狙い。複数の省庁にまたがる記載は責任者同士が事実確認する仕組みを想定する。政府関係者が明らかにした。ただ責任者の判断の妥当性を検証するのは困難で、恣意(しい)的に保存されないメモ扱いとなる懸念が残りそうだ。
有識者でつくる公文書管理委員会が進める公文書管理のガイドライン見直し案として浮上。政府は年内にガイドラインを改正する方針だ。
行政文書は公文書の一種。公文書管理法で「職員が職務上作成し、組織的に用いるため行政機関が保有しているもの」と規定するが、具体的基準はあいまいだ。内閣府公文書管理課は「作成経緯や利用状況を総合的に考慮する」と説明する。霞が関の現場では、行政文書なのか個人的メモなのかは、ガイドラインを基にした省庁ごとの規則により、担当者レベルで振り分けているのが実情だ。
加計問題では「総理の意向」などと書かれた記録文書に関し、文部科学省が「行政文書としては存在しない」とした。約一カ月後に文書を公表した際も「通常公表しない個人メモ」と主張し、批判が集中した。
見直し案では、課長級を中心とした責任者が内容を確認し、行政文書とすべきか見極める。複数省庁にまたがる場合、文書の記載に矛盾しないか調整する。加計学園問題で文書記載を巡る文科省内閣府の主張が矛盾した経緯も踏まえた。

だが、公文書管理に詳しいNPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長は官僚に文書内容で判断する裁量を与えない対策を求める。「メールや共有フォルダーで共有されれば法的に行政文書とすべきだ」と指摘した。

福田元首相 警鐘
公文書管理法の制定を主導した福田康夫元首相は共同通信のインタビューに対し、今後の課題を指摘した。

−公文書管理法の意義とは。

「公文書を残すことは日本の国の形を記録として残すことであり、正しい歴史を後世に残す作業だ。記録を作ることで、その国がどういう国なのかが分かる。それが原点だ」

−法律の施行から六年が経過し、公文書管理の現状をどう見ているか。

「公文書を作る公務員の意識が大事だ。記録を全て残すことになると、そもそも官僚が記録を作らなくなる懸念がある。頭の痛いところで、明快な回答はない。最後は公務員一人一人のモラルに頼らざるを得ない」

−学校法人「森友学園」を巡り、国有地売却に関する財務省の面会・交渉の記録が廃棄された。

「あまりにも短い期間で廃棄しているのは非現実的だ。誰が判断しているか分からないが、現場の裁量が大きすぎるのではないか」

−保存期間が終了した公文書が国立公文書館に移管される割合は毎年1%未満だ。

「公文書は膨大な量があり、公文書管理法でも役所の各部署で移管の必要性を判断する形になっている。その判断が役所や役人の都合では困る。国民の立場から必要、不要を判断しないといけない。国立公文書館にチェックする専門家を置くことも必要で、そのための増員は必要だ」

−行政文書と個人メモの線引きがあいまいだ。

「公文書なのに、これはまずいから個人メモにしよう、と上司から言われたら、そうなってしまう可能性もある。最後は作る人の倫理の問題だ。メモ書きにも案外真実がある」

−政と官の関係は官僚の公文書管理に対する意識に影響を与えるか。

「本来、公務員は国民への奉仕者で、政治に対しては中立でなければいけない。政治家が役所の人事までいじってしまうと公務員が政権にサービスし、特定の政治家への奉仕者になってしまう」