(余録)「泥棒も仲間内では悪党ではない」という… - 毎日新聞(2018年6月2日)

https://mainichi.jp/articles/20180602/ddm/001/070/066000c
http://archive.today/2018.06.02-005100/https://mainichi.jp/articles/20180602/ddm/001/070/066000c

「泥棒も仲間内では悪党ではない」という英語のことわざがある。日本でいう「盗人にも仁義あり」で、およそ人の集団なら仲間内の仁義礼智信なしに成り立たない。中国古代の大泥棒、盗跖(とうせき)はこう語る。
「何をするにも『道』はある。……まっ先に押し入るのは『勇』、最後にズラかるのは『義』、ことの成否を見抜くのは『知』、分け前を公平にするのは『仁』よ。これらがちゃんとできずに大泥棒になれたやつなんてまずいねえよなあ」
盗跖が孔子(こうし)の偽善性をこっぱみじんに論破したとも記す「荘子(そうし)」にある話だから、真偽のほどはうけあえない。さてこの“仁義”のしばりを解きほぐし、組織犯罪の解明に役立てようという日本版の「司法取引」が今月から始まった。
容疑者や被告が他人の犯罪の情報提供をすれば、見返りに不起訴処分や軽い求刑になるこの制度である。米国映画では自分の犯罪行為の取引も見るが、日本版は他人による贈収賄、脱税などの経済事犯、薬物・銃器犯罪が対象となる。
ちょっと話を聞いただけで頭をよぎるのは、自分の罪を逃れようと他人の罪をでっち上げる手合いが続出せぬかという心配である。冤罪(えんざい)を防ぐために虚偽供述には厳罰を科すというが、仁義も何もないエゴによる「巻き込み」が怖い。
自分の罪科を取引のコインとする制度が果たしてこの国の風土で正しく作動し、定着するのか。組織犯罪の現実をみれば試す価値はあろうが、ひとつの冤罪も出してはならない“実験”なのを肝に銘じてほしい。