(筆洗)先生は見捨てないで味方になってくれた - 東京新聞(2018年2月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018022602000143.html
https://megalodon.jp/2018-0226-1008-40/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018022602000142.html

小学校六年の春、窓際の桜がきれいだったのでうっとり見ていたら、担任の先生に「そんなもの見てないで勉強しろ」と教科書で頭をたたかれた。「青い山脈」「昭和残侠伝」などの俳優、池部良さんが書いている。
門中学に合格するも両親が反対した。その学校に通うとなると銀座を経由するので「不良になる」
説得してくれたのは池部さんをたたいた先生だった。玄関で土下座して「授業中に桜を見ている児です。不良にはなりません」。額が泥で汚れていたそうだ。「先生は見捨てないで味方になってくれた」
時代が違うとはいえ、そこまで面倒を見る先生がいたのか。これとはほど遠い悲しい言葉を目にした。「注意するのが面倒で見て見ぬふりをした」。神奈川県のある小学生が同級生のいじめによって長く不登校になっている。その調査報告書にあった担任だった教員の言葉である。
当初は「いじめに気づかなかった」と説明していたそうだ。面倒だと見て見ぬふりをされた子の痛みと絶望の大きさを想像する。助けを求める手に担任は背を向けてしまった。
担任一人を責めるつもりはない。いじめという生命にかかわる問題への対応を教員に「面倒だ」と感じさせてしまう何かが学校全体に潜んでいないか。それを見つけ、ひとつひとつ対策を講じていくべきだろう。面倒だからと、見て見ぬふりはできない。