<金口木舌>二つの顔 - 琉球新報(2018年1月31日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-656398.html
http://archive.today/2018.01.31-004049/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-656398.html

27日付本紙1面にため息を漏らした人もいよう。松本文明内閣府副大臣の辞任、米高官の発言を報じる記事とともに野中広務氏の訃報が載った。県民を軽んじる言動がばっこする中で沖縄に縁を持つ政治家が逝った

▼豪腕政治家に会ったのは10年前であった。日本兵に妹を殺されたというタクシー運転手の話からインタビューが始まった。初めて沖縄を訪れた1962年の体験を野中氏は晩年まで語り続けた
▼野中氏の評伝の多くが「二つの顔」を論じた。弱者への温かい目線と政敵への厳しい態度である。沖縄に対しても二つの顔で臨んだ。沖縄戦犠牲や米統治に対する償いの心と普天間問題で見せた強硬姿勢だ
▼米軍用地特措法改正案の審議における「大政翼賛会」発言は野中氏の沖縄観、歴史観を象徴する。沖縄戦の史実を歪めた教科書問題、政府主催の「主権回復の日」では舌鋒鋭く政府を批判した
海上ヘリ基地の是非を問う名護市民投票では負けた賛成派の健闘をたたえ「大きな勝利宣言だ」と断言した。ヘリ基地を拒んだ大田昌秀知事にも容赦しなかった。普天間問題の混乱の始まりに野中氏がいたことを記憶にとどめたい
▼評価は分かれるが、政界引退から15年を経ても沖縄に関する発言が注目された。存命なら「何人が死んだんだ」というやじを放った元副大臣に怒り、政権党の体たらくを嘆いたであろう。