名画の灯、掲げ続け ミニシアターの草分け 岩波ホール50周年 - 東京新聞(2018年1月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2018012802000192.html
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全国のミニシアターの草分けとなった岩波ホール(東京・神田神保町)が来月九日で開館五十周年を迎える。隠れた名画を発掘してファンを魅了し、映画文化の灯を守り続けてきた。同三日からは記念上映の第一弾「花咲くころ」を公開。支配人の岩波律子さん(67)は「今年も他では見られない映画をそろえた。映画は心の栄養になるということを若い人にも伝えていきたい」と意気込む。 (猪飼なつみ)
ホールの入り口付近には、これまで上映した二百四十五作品のチラシがすべて張り出されている。場内は二百二十の赤い座席が並び、七角形の天井が歴史を感じさせる。
ホールは、律子さんの父親で、岩波書店元会長の雄二郎さん(一九一九〜二〇〇七年)が私財を投じて、一九六八年に多目的ホールとして開館。「いいことなら何をやってもいい」という方針で、義妹の高野悦子さん(二九〜二〇一三年)に総支配人を任せた。
映画に特化するようになったのは一九七四年二月。外国映画の輸入と日本映画の海外普及に尽力した川喜多かしこさん(〇八〜九三年)が、インドの名匠サタジット・レイ監督の「大樹のうた」を上映する劇場を探していて、高野さんと意気投合。二人で名画を上映する運動「エキプ・ド・シネマ」(フランス語で「映画の仲間」の意味)を立ち上げた。
この運動は「日本では上映されることのない第三世界の名作を紹介」「欧米の映画でも大手が取り上げない名作の上映」などを目標に掲げ、数々のヒットも生み出す。テーマごとの特集上映などを除いて、これまで公開された作品は五十五カ国・地域に及ぶ。
律子さんは「迷ったとき、いつもこの目標に照らして考える」と話す。今も、なるべく社員十人全員が作品を見て話し合い、動員を見込めるかどうかよりも「この作品が良かった」という純粋な感覚を大切にしているという。
高野さんについては「情熱的でおしゃべりで、ほかの人がやらないような難題に獅子奮迅する人だった」と振り返る。そして、今も高野さんの存在を感じている。「女性の視点で描かれているものや、戦争や暴力に反対する作品は、高野が喜ぶだろうなと思いながら選んでいる」
記念上映第一弾の「花咲くころ」もそうした視点で選ばれた。一九九一年にソ連から独立したジョージア(旧グルジア)の首都トビリシを舞台に、暴力の不毛さや内戦後の混沌(こんとん)、未来への希望が描かれている。
七五年から同ホールに勤め、企画と宣伝を担当する原田健秀さん(63)は「ネットの発達やグローバル化で映画のつくりが均一になっている今、映画の世界の多様性を示したい」と話す。「単館にとって厳しい時代だが、これまで通りに続けることが時代への抗議。これからも信念を持って作品を選んでいきたい」

<花咲くころ> 監督はジモン・グロスナナ・エクフティミシュヴィリの夫婦。ベルリン国際映画祭国際アートシアター連盟賞受賞のほか、世界の映画祭で高く評価された。1時間42分。

◆マイノリティー支える存在
 ミニシアターがブームになったのは一九八〇年代。映画産業に詳しい城西国際大の掛尾良夫教授は「岩波ホールの成功が、芸術性の高い作品の上映がビジネスになりうることを示した」と説明する。
しかし、九〇年代になると複数のスクリーンを持つシネマコンプレックスが普及。日本映画製作者連盟によると、全国の映画館のスクリーン数は年々増加しているが、増えているのは五スクリーン以上を持つ映画館のもの。四スクリーン以下の映画館に限ると、二〇〇〇年の千四百一スクリーンから昨年は四百二十九まで減っている。
最近ではインターネットでの動画配信も普及し、スマートフォンタブレットで映画を見る習慣も広がりつつある。全国で歴史のあるミニシアターの閉館も相次いでいる。
全国のミニシアターなどでつくる「コミュニティシネマセンター」代表理事で、大分市の映画館「大分シネマ5」代表の田井肇さん(62)は「多くのミニシアターが岩波ホールのようにありたいと思って始まった。今も果敢に挑戦し、孤高の存在ともいえる岩波ホールに引っ張られている映画館は多い」とたたえる。
「商業的に成功する映画だけが残っていくのは、マイノリティーや個性のある人がどんどん居場所を失う社会と同じ。岩波ホールが在り続けることは、他の映画館にとってだけでなく、人知れず日本にとっての安心感にもつながっている」と話した。