軍事研究、前のめりだった京都帝国大 軍学共同の道(3) - 京都新聞(2017年12月20日)

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京都帝国大教授が開発に関わり、米本土を狙って9300発が実戦投入された風船爆弾の模型(川崎市・明治大平和教育登戸研究所資料館)

いつの時代も軍事研究は秘密裏で行われてきた。防衛省の研究公募は昨年度まで、特定秘密保護法上の「特定秘密」になりうるのか、要項上あいまいだった。軍事と多額の研究資金で科学はどうゆがむのか、戦時中の歴史を京都で追うと、秘密のベールが立ちふさがる。
「戦時中、京都帝国大は軍事研究に前のめりだった。かなり戦争に協力していた姿勢がみてとれる」
京都大大学文書館(京都市左京区)の西山伸教授は、防衛省防衛研究所にあった資料に目を落としながら語った。
京大側で、該当する資料は現存していない。
資料名は、陸軍兵器行政本部技術部と陸軍技術研究所の「研究嘱託名簿」。戦時中に集められた科学者の名簿だ。東京帝国大、慶応大…。1945年1月の名簿638人の研究者の中に、京大から38人の名があった。
名簿に、戦後間もなく京大総長を務めた鳥養利三郎(1887〜1976年)の名前もあった。鳥養は電圧や電波が専門の電気工学の重鎮。先端技術で重きをなした「応用科学研究所」のトップも任されていた。
京滋では府立医科大が「生活限界に関する研究」(月80円)、京都繊維専門学校(現京都工芸繊維大)が「能力限界に関する研究」(月60円)を担っていた。
鳥養には軍から月120円の手当が支払われている。所属先は旧陸軍が極秘裏に兵器を研究した一大拠点「登戸研究所」(川崎市)だった。研究テーマは「と號(ごう)装置ニ関する研究」。「と號」は兵器の暗号で、電気で弾丸を飛ばす「投擲(とうてき)砲」と考えられている。
登戸研究所の建物は一部現存している。明治大の生田キャンパスにあり、平和教育の資料館となっている。アメリカ本土を攻撃する決戦兵器、風船爆弾。細菌兵器、毒物開発。偽札作りなどの謀略。戦後に跡地を購入した明治大は、戦中は無関係だったが、秘密戦研究と戦争の暗部を掘り起こし、資料を展示している。館報では松野誠也さんが「研究嘱託名簿」と登戸研について寄稿していた。
「科学研究者調(甲表)」という資料もある。召集解除が必要な科学者の一覧表で掲載数は226人。京大は20人の氏名がある。2資料の研究テーマには、自動追尾ミサイルや暗視装置など現代に実戦投入されている兵器もある。京大・木材研究所でも研究していた「軍用木材」も挙げてある。電波や衝撃波でB29を破壊しようとした「怪力線」や空気中に蒸気化学材を散布し、飛行機や戦車のエンジンを停止させようとした研究など、実現性がよく分からないテーマも多い。本気で研究しようとしていたのか。
湯川秀樹博士のメモにあったように、終戦直後に組織的に戦時中の軍事研究資料は焼却され、記録は乏しい。戦後は占領軍に動じず、大学自治を貫こうとした鳥養の軍事研究への思いを知りたい。京大大学文書館所蔵の鳥養資料に当たった。