(余録)広島の原爆ドームのように… - 毎日新聞(2016年8月31日)

http://mainichi.jp/articles/20160831/ddm/001/070/148000c
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広島の原爆ドームのように、戦災の跡を残す建造物や、軍事施設の遺構などは「戦争遺跡」と総称される。第二次大戦末期、政府が長野市郊外に中枢機能の移転を図った「松代大本営(まつしろだいほんえい)」と呼ばれる地下壕(ちかごう)などもそうだ。
原爆ドーム核兵器の惨禍を、松代の地下壕は政府が極秘で退避を探っていた事実を、目に見える形で伝える。これまであまり存在が知られていなかったような遺構も、再評価する動きが各地に広がっている。
川崎市多摩区の現明治大敷地にあった陸軍登戸(のぼりと)研究所はその先駆け的な例だ。気球型の「風船爆弾」など秘密兵器の研究拠点だったが、戦後も実態はベールに覆われていた。だが、市民らによる調査が進み、明治大は残された施設を改装した資料館を2010年に開設した。
住民と自治体が共に動く例も増えている。埼玉県桶川(おけがわ)市は陸軍飛行学校の木造の兵舎棟などを今年文化財に指定し、復元保存に向けた解体、調査作業に着手した。住民らが署名集めや見学会の開催などを通じ、保存に取り組んできたことを受けての対応である。
登戸の資料館長を務める山田朗(あきら)明治大教授によると、国や自治体が文化財などに指定・登録した戦争遺跡は約270件にのぼり、40を超す保存団体が連絡を取り合っているという。今月下旬、資料館が開いた見学会には若者の姿も目立ち、世代を超えた関心の高さをうかがわせた。
戦争遺跡に関して文化庁は調査を進めているが、作業は停滞している。戦後71年を経て、多くの遺構は老朽化が進む。戦争の教訓を後世に伝える手段として、国も保全に取り組む姿勢をより明確に示す時だろう。