(筆洗)名付けて「冬季漁獲戦闘」 - 東京新聞(2017年12月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017121502000130.html
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開国以来のこの国の歩みを活写した全十巻の名著『日本の百年』の序章で、思想家・鶴見俊輔さんは「漂流」の歴史的意味を、こう記した。<漂流者は自然の力によって国の外におびき出されると、それからはいやおうなしに、鎖国下に育てられた日本のこまごました習慣や礼儀作法から自由になり…海外の人たちと国を離れたはだかの人間として接触せざるをえなかった>
幕府はそんな漂流者の存在すら隠そうとしたが、彼らの「自由」の体験が、旧弊にとらわれた社会からの目覚めを促す刺激となったというのだ。
今、日本海沿岸に流れ着いている漂流者はどうだろうか。政府によると、朝鮮半島から漂着・漂流したとみられる船は今年、過去五年で最多となった。四十人余は保護されたが、遺体が次々見つかっている。
背景にあるのは、北朝鮮の国策だろう。貧弱な船で荒海への出漁を強いる。名付けて「冬季漁獲戦闘」。戦闘だから犠牲者が出るのは当然ということか。
『日本の百年』には、こういう逸話も書かれている。日本に漂着した米国人の船乗りを、米軍艦が迎えに来た。身分にこだわる幕府の役人が「艦長は一番上から数えて何番目にいる人か」と尋ねると、船乗りは胸を張って答えた。「一番上に立つのは、人民である」。人民の命が使い捨てにされる「人民共和国」からの漂流者に、教えてあげたい話だ。