故大島渚監督「憎みつづけている、戦争を。」息子への詩発見 - 東京新聞(2017年9月13日)

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戦場のメリークリスマス」などの作品で知られ、二〇一三年に八十歳で亡くなった映画監督の大島渚さんが、自らの戦争体験に関する詩を四十年以上前に書いていたことが、分かった。息子のために終戦の日の出来事を記し、戦争の不条理について語り掛ける内容だ。妻で俳優の小山明子さん(82)は「戦争とは何かを、若い世代に考えてほしいという思いが伝わる」と話す。
「パパの戦争」と名付けられた詩は、大島さんの長男が神奈川県藤沢市の私立小学校四年だった一九七三年夏、「親の戦争体験を聴く」という学校の課題を受けて書かれたという。
平和教育に熱心だった元教諭の那須備述(まさのぶ)さん(87)=同県三浦市=が当時文集に掲載し、長年保管していた。小山さんの手元には残っておらず、今年に入り那須さんから文集のコピーを送られ、存在を確認したという。
大島さんは京都で終戦を迎えた。詩は「戦争が終った日、パパ、十三才、中学の二年」と三度繰り返し、前半部分には「朝から将棋をさす。正午、陛下の放送。午後も 将棋をさす。駒、見えていない。王様は、あったかどうか」と四五年八月十五日の様子を記している。
また翌十六日のこととして、空襲を避けて庭に埋めていた本を掘り出すと、水浸しになっていた様子も書かれている。
戦時中の出来事に関し「何度、上級生に蹴られたか。上級生にさからうのは、天皇陛下にさからうことだぞ!」とも。後半部分では「今、パパ、四十一才、憎みつづけている、戦争を」とつづり、「君に戦争はあるか。君よ、今を大切にせよ」と結んでいる。
小山さんは「大島が少年の頃は、本も読めず、戦争に向かう教練をさせられた時代。家庭などで折に触れて戦争の話をしていた」。那須さんも「肉声で呼び掛ける文体で、体験を語り継ごうという思いが表れている」と話す。
革新的な作品や激しい論客ぶりで知られた大島さんは、家族や学校行事を大切にする優しい父親でもあったという。これ以前にも戦争中の体験を書いた作文を長男の学校に寄せており、二〇一五年に絵本「タケノコごはん」として出版された。小山さんは、大島さんの思いを踏まえ「戦争の歴史を今の子どもたちにもっと伝えていかないといけない」としている。


◆「パパの戦争」全文

戦争が終った日、
パパ、十三才、中学の二年
そう言えば
戦争が中国から太平洋へ広がった年
パパ、君と同じ 四年生だった。
戦争が終った日。
朝から将棋をさす。
正午、陛下の放送。
午後も 将棋をさす。
駒、見えていない。
王様は、あったかどうか。
夜。
母、疎開の妹を迎えに旅立つ。
妹ばかり大事にしてる。
眠れない。
電燈明かるく、
非常食の炒り米ボリボリかじる。
あくる日。
庭を堀る。
本を入れて埋めてあったかめ。
だが、本は水びたし。
君は今も見ることができる。
その本を パパの書斉の奥に。
次の日。
学校へ行ってみる。
全校生徒で堀った、
堀りかけのプール。
もっこかついで土運び、
何度、上級生に蹴られたか。
上級生にさからうのは、
天皇陛下にさからうことだぞ!
戦争が終った日、
パパ、十三才、中学の二年。
銃とるだけが戦争じゃない。
上級生のビンタ、
水びたしの本、
妹と別れてくらすことも、
みんなパパの戦争だった。
今、君に戦争はあるか。
戦争が終った日、
パパ、十三才、中学の二年、
憎むことを知り
今、パパ、四十一才、
憎みつづけている、
戦争を。
君よ、
君に戦争はあるか。
君よ、
今を大切にせよ。


<おおしま・なぎさ> 1932年3月生まれ。京都市出身。「青春残酷物語」などで日本のヌーベルバーグの旗手として注目され、「絞死刑」「愛のコリーダ」など話題作を発表。78年「愛の亡霊」でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。2013年1月に80歳で死去した。長男の武さんは東京工芸大教授。