(余録)先年亡くなった詩人で… - 毎日新聞(2017年9月7日)

https://mainichi.jp/articles/20170907/ddm/001/070/044000c
http://archive.is/2017.09.07-002149/https://mainichi.jp/articles/20170907/ddm/001/070/044000c

先年亡くなった詩人で老荘思想家の加島祥造(かじま・しょうぞう)さんは長野県の伊那谷に移住した二十数年前、視野いっぱいに広がる赤とんぼの大群に驚いた。夏の終わり、雌雄連なって山から下りて来た途方もない数の群れだった。
東京育ちの加島さんの知る赤とんぼは旅路の果てに町に迷い込んだような哀れな姿だった。だがこの時の大群は「存在の威厳」すらも感じさせ、その「命のエナジー」が電撃のように体を走ったという(「伊那谷老子朝日文庫
もっともさらに昔は東京の真ん中でも赤とんぼの大群が見られたらしい。明治前半に麹町で育った作家の岡本綺堂(おかもと・きどう)は「北の方から無数の赤蜻蛉(とんぼ)が雲霞(うんか)のごとく飛んで来た」と述べ、竹ざおを振るだけでたちまち数十匹が落ちたという。
まさに日本の古称「秋津島(あきつしま)」−−とんぼの島というにふさわしいこの季節の赤とんぼの群れだった。だが加島さんが巨大な群れを見たころからも事態は様変わりし、この20年ほどで赤とんぼ(アキアカネ)の生息数は激減したという。
ひところ富山、三重などで絶滅のおそれがあるレッドリストに載ったのが話題となり、半数以上の府県で1000分の1以下に減ったという研究者の推計が注目された。原因としては同じ時期に普及した新農薬が疑われているようだ。
唱歌・童謡の人気ランキング上位に「赤とんぼ」が入るのは今も変わらない。この列島で共に暮らしてきた心の友から奪った「存在の威厳」「命のエナジー」は私たち自身の運命をどう変えるのだろう。