(余録)くろがねの秋の風鈴鳴りにけり… - 毎日新聞(2017年9月4日) 

https://mainichi.jp/articles/20170904/ddm/001/070/190000c
http://archive.is/2017.09.04-004403/https://mainichi.jp/articles/20170904/ddm/001/070/190000c

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり(飯田蛇笏(だこつ))。

そろそろ片付けたほうがいいかもしれない。騒音と感じる人もいるからだ。近所の風鈴の音が気になり、風の強い日や夜には取り外してもらうよう頼んだ。


−−そんな新聞の投書を読んだ。
風鈴ばかりではない。火の用心を呼びかける拍子木の音にも苦情が寄せられる。地域を火事から守るボランティア活動が一部の人には耳に障る。何とも難しい時代になった。
特に深刻なのは幼稚園や保育園へのクレームだ。東京都武蔵野市は来年4月に開園予定だった認可保育園について、近隣住民の理解が得られなかったとして開園を延期した。保育園が「迷惑施設」のように受け止められる現実をどう考えればいいのか。
脚本家の山田太一さんに「家族の音」というエッセーがある。かつてはどこの家もこんな感じだった。「家族はクシャミでありイビキであり、急に意味不明の高い声を出した妻の内面であり、夫の沈黙であり、目がはなせない赤ん坊の笑い声泣き声であり……」
核家族化や少子化が進み、生活の中で聞こえる音は昔よりむしろ静かになったように思える。だから余計に音に敏感なのかもしれない。隣近所の音をめぐり、お互いさまでは済まなくなった。ではどうすればという知恵も浮かばない。
そういえば、除夜の鐘にまで苦情が寄せられ、昼間に鳴らすことにした寺もある。人の心や暮らしのありようが、音の響きを変えていく。その現実を前に、耳を塞ぐことはもはやできない。