<世界の中の日本国憲法>9条編(上) 「不戦」支える「戦力不保持」 - 東京新聞(2018年5月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201805/CK2018050402000147.html
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日本国憲法は三日、施行から七十一年を迎えた。この間、条文は一文字も変わらず、自衛隊が海外で一発の銃弾も撃つことなく、日本は平和国家として歩んできた。日本国憲法の本質はどこにあるのか、世界各国の憲法と比べながら考える。まず、平和憲法の根幹とされる九条を取り上げる。

◆パリ条約が源流
九十年前の一九二八年八月二十七日、パリ・フランス外務省の「時計の間」。日本を含む十五カ国の高官を前に、ブリアン仏外相が宣言した。「利己的で意図的な戦争に終わりをもたらす日となるだろう」
千六百万人が犠牲になった第一次世界大戦の反省から生まれた「パリ不戦条約」の調印式。それまで戦争は国家の自由と考えられていたが、初めて戦争を違法とした条約だった。加盟国は六十三カ国に増え、「戦争なき世界」を目指した。
しかし、自衛のための戦争は制限されないことが交渉過程で確認され、実効性が薄かった。日本は旧満州中国東北部)を占領。ドイツやイタリアも自衛の名の下に侵略を広げ、第二次世界大戦を防げなかった。
大戦後、四五年の国際連合発足とともにできた国連憲章は、条約の理念を引き継いだ。国際紛争を「平和的手段」で解決することや、「武力による威嚇又(また)は武力の行使」を慎むよう加盟国に求めている。
日本国憲法九条一項はこの流れをくみ、戦争放棄をうたう。ただ、戦後制定された多くの国の憲法にも同様の規定があり、九条一項が特別とは言えない。つまり、多くの国の憲法も日本と同じく「戦争放棄」の理想を掲げている。
四七年制定のイタリア憲法は、紛争解決手段としての戦争などを否定。八七年制定のフィリピン憲法も「国の政策の手段としての戦争」放棄をうたう。二〇〇〇年代に左派政権が誕生したエクアドルボリビアも、紛争解決手段としての戦争放棄を新憲法に掲げた。
侵略や征服目的の戦争を否定した憲法も多い。ドイツは「侵略戦争の準備」を違憲とし、刑事罰も規定。フランスは一七九一年憲法で征服戦争放棄を定め、現行憲法も引き継いでいる。

◆自衛の名の下に
だが、〇一年に米ブッシュ政権が「自衛のための戦争」を宣言してアフガニスタンを攻撃したように、自衛権を根拠にした軍事行動が繰り返されてきた。国連憲章は個別的、集団的自衛権を国家の「固有の権利」として認めているからだ。侵略と認めて軍事行動をするケースはほとんどない。
自衛権を根拠に、多くの国は憲法で軍隊の保持も定めている。不戦の理想が実現しにくいのは、これが大きい。世界で最も強固な平和憲法とされる日本国憲法が特別なのは、九条一項の「戦争放棄」に続き、二項で「戦力不保持」を明記している点にこそある。二項は9条編(下)で詳しく紹介する。 (小嶋麻友美