(筆洗)元参院議員の大田昌秀さん。九十二歳。 - 東京新聞(2017年6月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017061302000122.html
https://megalodon.jp/2017-0613-0930-03/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017061302000122.html

万歳三唱ほど時代から消えた風習はないかもしれない。かつては会社の送別会や、結婚式などでもバンザイ、バンザイとやっていたのだが、最近はとんとお目にかからない。
ぎりぎり万歳が生き残っている場所はおそらく政界だろう。衆院解散となれば、本会議場でこぞって万歳を唱える。何も国会議員に限らぬ。どんな選挙でも当選すれば候補者への花束贈呈、続きまして万歳三唱というのがお祝いの運びである。
選挙で勝っても万歳を絶対に口にしなかった数少ない人が亡くなった。元沖縄県知事、元参院議員の大田昌秀さん。九十二歳。
学徒兵として動員された熾烈(しれつ)な沖縄戦。味方の兵が住民の食糧を奪う。壕(ごう)から住民を追い出し、自分たちが使う−。目の当たりにした非人間的な出来事を出発点に反戦平和を生涯をかけ訴え続けた。
かつての選挙で、万歳ではなく、カチャーシーで当選を祝ったのは万歳という行為がいやでも「戦争」に結び付いてしまうためだと聞いた。一方的で強制的なかつての万歳の裏側で、どれだけの命が失われたか。それを唱えぬかわりに唱え続けることを選んだのは沖縄を基地の島としないための異議だった。
防空壕の外にピアノがあった。誰かが学校から運んできた。空襲の合間、友人が弾いてくれた。人間を取り戻せる時間だったと書いている。今、その曲を静かに聴いていらっしゃるか。