(評伝 大田昌秀元知事)「沖縄とは」問い続ける 稲嶺幸弘・沖縄タイムス社編集局次長 - 沖縄タイムス+プラス (2017年6月13日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/101924
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「沖縄は日本なんですか」。元知事の大田昌秀さんが現職時代、声を荒らげて記者団にこう問い掛けたことがある。米軍用地の強制使用のため、代理署名をさせる裁判を起こす政府方針に見解を求められた記者会見で口にした言葉である。
県庁の担当記者だった22年前の話だが、気色ばんだ大田さんの顔を今も鮮明に覚えている。日本にとって沖縄とは何なのか。訃報を聞き思い出した冒頭の言葉は、学者として、そして知事として問い続けたことだった。
沖縄戦で学徒動員され、大田さんが目にしたのは国家が暴走した果ての悲劇だった。信じた大人たちに裏切られ、多くの仲間を失った。何故、沖縄が戦場となり、「捨て石」とされたのか。それを究明するのが生き残った自身の使命だと学者の道を選んだ。
戦後、日本国憲法の写しを見て、「祖国」への憧れを抱いた。だが、日本は独立と引き換えに、沖縄を切り捨てた。同胞の素顔を知った大田さんが、日本人の心性を厳しく告発した著書が「醜い日本人」である。
沖縄戦の生き残りの大田さんが知事として、平和行政に力を注いだのは必然だった。それは平和を脅かす米軍基地をなくしていくことでもあった。
全面返還の日米合意にこぎつけた米軍普天間飛行場問題は、県内移設を拒否し、解決できぬまま知事を退いた。辺野古新基地建設に向けた知事の埋め立て承認への対応が迫る4年前の年末、大田さんのインタビューに立ち会った時の言葉が印象に残っている。
当時、自民県連や自民国会議員が党本部の圧力で県内移設容認に転じ、仲井真弘多知事(当時)の包囲網が狭まっていた。「日本という国はやはり沖縄を質草ぐらいにしか考えていない。これから沖縄は厳しい状況になる」と、嘆くように語っていた。
知事時代の大田さんは、頑固な人だった。歯に衣(きぬ)着せぬ物言いは時に、周囲とのあつれきも生んだ。
だが、知事を終え、参院議員も退いた後に久しぶりに会ったら、表情も口調も穏やかな好々爺(や)になっていた。
ジャーナリズムの専門家で、県内マスコミに教え子も多い。最後に会った2年前の90歳の誕生会でこう言っていた。「世の中はおかしい方向に流れている。沖縄のマスコミが踏ん張らんといかんよ」。国家の暴走で青春を失った大田さんの「遺言」と受け止めたい。