憲法の岐路 首相と総裁 ご都合主義の使い分け - 信濃毎日新聞(2017年5月10日)

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改憲促進が目的の民間会合に自民党総裁として寄せたビデオメッセージについて、国会で問われると「この場には総理として立っている」と説明を拒む。
これでは立場を都合よく使い分けていると言われても仕方ない。国民に対し無責任だ。
一昨日、昨日の衆参予算委での安倍晋三首相答弁である。民間団体が開いた会合に、「2020年を、新しい憲法が施行される年にしたい」とするあいさつを寄せたことについて問われた。
首相が改憲時期の目標を明示したのは初めてだ。考え方や条文について、野党議員が問いただすのは当然である。
その答えが冒頭の発言だった。「総裁としての考えは述べるべきではない」とも述べた。
答弁ではこんなことも言っている。会合当日付の読売新聞インタビュー記事に触れて「それを熟読していただきたい」。
国会の外では雄弁に語るのに国会では答えない。蓮舫民進党代表は「議院内閣制では、政府と与党は一体のもの。使い分けるのは不誠実」と批判していた。うなずく人は多いだろう。
首相は一方では改憲に同調しそうな党へのサービスを怠らない。日本維新の会の議員が教育無償化について尋ねると、「国の未来を開く上で教育は大事。高等教育も全ての国民に開かれたものでなければならない」。
独自の憲法草案の柱に教育無償化を掲げる維新に向けて秋波を送った。改憲路線に引き込むための懐柔策である。
首相は衆参の憲法審査会に向け議論加速を促し続けてもいる。立場をわきまえない立法介入、と批判されかねない行為である。
昨年の国会では、自分の立場について「立法府の長」と言い間違えたことがある。国会審議も思い通りになると考えているのではないか。憲法審への対応を見ると勘繰りたくもなる。
国会は一切のタブーなく議論する場のはずである。自由な論戦を保障するために、憲法は国会議員に対し院内での発言について免責特権を与えている。
憲法99条は大臣や国会議員に対し憲法順守義務を課している。政府や国会が国民を離れて勝手なことをしないよう縛りをかけている。国会での答弁は国民に対する説明だ。拒んだり、はぐらかしたりすることは許されない。