(筆洗)「ラクダの鼻」になる危険は本当にないのか - 東京新聞(2017年5月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017050202000142.html
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ラクダの鼻」という言い方が英語にある。のんびりとした鼻を思い浮かべるが、その意味を知れば、ちょっと身構えたくなる。語源は中近東あたりの昔話だと聞く。こんな話である。
ある男が一頭のラクダを連れて、砂漠を旅していた。ある夜、疲れたラクダは男にこう頼み込んだ。「鼻だけテントの中に入れてもいいですか」。男は快く応じるが、その日を境にラクダはどんどん大胆になっていく。顔を、首を、脚を…。テントに入れてくる部分がどんどん大きくなる。結局、ラクダはテントの中で眠るようになり、男が出て行けといっても聞かない。
小さく、無害に見えてもそれをいったん認めれば、既成事実となり、やがて取り返しのつかぬ事態につながる。「ラクダの鼻」とはそういうたとえである。
ラクダの鼻」になる危険は本当にないのか。海上自衛隊護衛艦「いずも」が米海軍の補給艦防護のために、横須賀基地から出港した。安全保障関連法に基づく新任務が初めて実行に移された。
日程は約二日間。米補給艦を護衛するのは四国沖まで。本当に必要なのかの疑問も残るほどに「ラクダの鼻」程度の任務かもしれぬ。
心配なのはこうした任務の積み重ねがやがては米軍との一体化を思いもしないレベルまで強め、同時にそれに対する国民の警戒心を弱めないかである。不気味な鼻が太平洋を静かに泳いでいる。