(筆洗)きょうは、沖縄慰霊の日だ - 東京新聞(2017年6月23日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017062302000142.html
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沖縄には「艦砲の食い残し」という言葉がある。鉄の暴風と形容された沖縄戦の艦砲射撃で家も家族も食い尽くされた。その食い残しが、生き残った自分たち。言い尽くせぬ悲しみと虚(むな)しさが結晶となった言葉だ。
<♪うんじゅん 我(わ)んにん/いゃーん 我んにん/艦砲(かんぽー)ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー…>。あなたもわたしも、おまえもおれも、艦砲の食い残し。そんな歌が大ヒットしたのは、戦後三十年を迎えたころだ。
仲松昌次さんの労作『「艦砲ぬ喰ぇー残さー」物語』によると、作詞作曲した比嘉恒敏(ひがこうびん)さんは、対馬丸の沈没で父母と長男を失い、働きに出ていた大阪での空襲で妻と次男を失った。
終戦後、廃虚となった故郷の村に帰って生活を再建させたが、米軍基地建設のため強制的に立ち退かされた。そんな自分の歩みを、民話を語るような木訥(ぼくとつ)とした口調と明るい曲調の島唄にしたのだ。
だが、比嘉さんが、この歌のヒットを見届けることはなかった。本土復帰の翌年、飲酒運転の米兵が起こした事故で、五十六歳で命を奪われてしまった。
沖縄の新聞・琉球新報に最近、七十七歳の方が詠んだ琉歌が載っていた。<野山(ぬやま)揺るがする艦砲の音(ぬうとぅ)やこの年(くぬちゃ)なるまでも追うてきよ(でぃんうーてぃちゅー)さ>源河朝盛(げんかちょうせい)。七十二年たっても止まぬ戦争の響きがある。「艦砲ぬ喰ぇー残さー」という言葉は今も痛みを伴って脈を打っている。きょうは、沖縄慰霊の日だ。