軍事研究 大学をゆがめかねない - 朝日新聞(2017年1月15日)

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_shasetsu_01
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防衛省の安全保障技術研究推進制度をめぐって大学・学術界がゆれている。兵器など装備品の開発につながりそうな基礎研究に資金を提供するものだ。
政府系の研究機関や企業も対象だが、これまで軍事研究と距離を置いてきた大学の対応が最大の焦点である。
この制度は、大学を変質させかねない問題を含んでいる。飛びついてはいけない。
15年度に3億円で始まり、16年度は6億円だったが、自民党国防部会の強い主張を背景に新年度予算案で一挙に110億円に増やされた。研究費の慢性的な不足と厳しい獲得競争に悩む大学研究者に、潤沢な資金をちらつかせる格好だ。
設定テーマに研究者の提案がかなうと、委託研究の契約を大学と結ぶ。防衛装備庁の職員が研究に伴走するため、他省庁の研究費に比べ口をはさみやすい仕組みになっている。
成果の公表も「事前の確認」を求めるとして強い批判を招いた。新年度は「公表は制限しない」と明記するが、外国籍の学生や研究者の扱いと並ぶ微妙な問題だけに、将来、秘密保持を優先する運用に転じない保証はない。大学は、成果の公表や国際交流が今後ますます重要になる。軍事研究が逆方向を向くことは間違いない。
大学・学術界には「防御的な研究ならば良いではないか」との声もある。だが、攻撃・防御の区別は困難なことが少なくない。米国など同盟国に技術が輸出されれば、用途を限ることはさらに難しくなる。
大学は何よりも知識を受け継ぎ発展させるためにあり、人類全体に貢献すべきものだ。それが学問の自由の本質であり、学生に教えるべき根幹だろう。時の政権が求める研究を無批判に請け負ったのでは、社会への責任をはたしたことにならない。
この問題は、国内の科学者の代表機関である日本学術会議が1年以上検討している。議論を注視している大学も多い。
学術会議は1950年と67年に「軍事目的の科学研究はしない」という声明を出した。その土台には、研究資金や就職機会の増加などと引き換えに戦争準備に協力した過去への痛切な反省があったという。原点を見失わぬ結論が望まれる。
16年度の制度への応募は、前年度の109件から44件に減った。問題点が知られ、反対の動きも広がったためで、大幅増額の異様さは明らかだ。
大学の役割や社会的責任とは何か。そうした視点に立った、骨太の議論を国会に求める。