安倍晋三に受け継がれた岸信介の「民族主義」と「選民思想」(魚住 昭さん) - 現代ビジネス(2017年1月15日)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50657

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が、岸はそうした事実に目を向けない。幼時から長州という風土で叩き込まれてきた選民思想に回帰し、『断想録』に〈吾は日本人なり。日本人として生き、日本人として死なんのみ〉〈戦敗は日本国民が選ばれたるものとして立ち上るべき天の試練である〉と記す。

結局、3年に及ぶ巣鴨プリズン暮らしで岸を支えたのは吉田松陰ゆずりの民族主義だったのかもしれない。以前紹介した故船戸与一さんの『満州国演義』に松陰の言葉があった。

松陰は欧米への対抗策として大略「隙に乗じてカムチャッカ・オロッコを奪い、琉球を諭し、朝鮮を責めて貢を奉らせ、北は満州の地を割き、南は台湾・ルソンの諸島を収めて進取の勢いを示せ」と書き残した。

日本の近代はその通りのコースを歩み、1945年の破局を迎えた。船戸さんは物語のクライマックスで「結局は民族主義の問題だった」として登場人物に次のように語らせていた。
「(明治維新後も)松陰の打開策は生きつづけた。民族主義は覚醒時は理不尽さへの抵抗の原理となるが、いったん弾みがつくと急速に肥大化し覇道を求める性質を有する。日本の民族主義の興隆と破摧。たった九十年の間にそれは起こった」
しかし敗戦で砕け散った民族主義もやがて息を吹き返す。その政治的象徴となったのが「憲法改正」を唱える岸だった。
岸が目指したのは単なる条文変更ではない。国家の基本法作りを米国の主導権に委ねた屈辱を歴史から消し去ることだ。だから条文変更より、改憲そのものが自己目的化する。
安倍晋三は政治的象徴としての岸の身代りだ。支持者たちは安倍の中に、岸が戦前から戦後に橋渡しした民族主義を見出し、喝采する。たとえ、それが〈急速に肥大化し覇道を求める〉歴史を繰り返す危険をはらんでいるとしてもである。

関連サイト)

明治維新の映画支援検討、政府 - ロイター(2017年1月7日)

http://jp.reuters.com/article/idJP2017010701000739

政府は、1868年の明治維新から150年の節目となる2018年に実施する記念事業として、明治期の国造りなどを題材とした映画やテレビ番組の制作を支援する検討に入った。柔道や相撲の大会を開催する案もある。政府関係者が7日、明らかにした。各府省庁が事業の具体化を本格化させ、夏までに大枠をまとめる。
明治維新150年について政府は「大きな節目で、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」(菅義偉官房長官)として内閣官房に準備室を設置した。【共同通信