原発被災地の医療 病院長の死が問うもの - 東京新聞(2017年1月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017011102000143.html
http://megalodon.jp/2017-0111-0955-52/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017011102000143.html

福島県広野町の高野英男・高野病院長(81)が昨年末、亡くなった。老医師の死は、避難指示解除や地域医療など、被災地が抱える問題を明るみに出した。
高野院長は昨年十二月三十日、火事で亡くなった。病院は福島第一原発から南に約二十二キロ。二〇一一年三月の原発事故後、院長は患者は避難に耐えられないと判断し、患者やスタッフと共に病院にとどまった。おかげで震災関連死を出すことはなかった。三十キロ圏内で唯一、診療活動を継続している病院となった。
院長の死は、八十一歳の老医師の活躍で隠されていた不都合な真実を明らかにした。そのうちの三点について書いていきたい。

◆常勤医ゼロの非常事態
政府は今春、富岡町飯舘村の大部分で避難指示を解除する方針だ。浪江町も一部が近く解除される見通しである。政府は解除の要件として(1)年間の放射線量が二〇ミリシーベルト以下(2)インフラの整備、医療・介護などがおおむね復旧(3)県、市町村、住民との十分な協議−を挙げている。住民の間では特に医療環境と商業施設の充実を望む声が強い。
だが、医療の実情は、おおむね復旧とは言い難い。
福島県が昨年九月に公表した医療復興計画によると、双葉郡内の八町村では原発事故前の一一年三月一日現在で、六つの病院が診療活動をし、常勤医は三十九人いた。それが一昨年十二月には、病院は高野病院だけ、常勤医は高野院長一人だけになった。
精神科が専門の院長は、救急患者の診察や検視までやっていた。院長の死で、双葉郡は常勤医がいなくなった。
国や県は「一民間病院の支援は公平性を欠く」という理由で、これまで積極的な援助をしなかったと病院関係者は話す。県内の他の病院と差をつけられないという発想だが、民間企業の東京電力には巨額の税金が投入されている。民間だから、というのは役所が得意の「できない理由」でしかない。
院長の死後、病院の存続が危うくなり、国も県も町もやっと支援を表明した。

◆高齢者を支える
二つ目は少子高齢化、人口減の地域での医療についてだ。
原発から三十キロ圏内を中心に、原発事故後、国や自治体が住民に避難指示を出した。双葉郡の場合、ほぼ全員が避難した。患者がいなくなれば、病院の経営も成り立たず、医療も崩壊する。
すでに避難指示が解除された地域で、帰還しているのは比較的高齢の人だ。しかも「自分で軽トラックを運転できる」など自立して生活できる人が多いという。
三世代、四世代が同居していた避難前であれば、お年寄りの体の異変に家族が気づき、適切な医療ができた。今は一人暮らしか、老夫婦だけとなり、病気の発見が遅れているという話もある。
この問題は被災地に限らない。過疎地でも高齢者を支えないと、医療機関の整っている都市部へ移動する。政府は医療や社会福祉の支出削減を目指しているが、地方の医療が壊れれば、過疎を加速させる可能性がある。
三つ目は、原発事故に病院は耐えられないということだ。
院長は町が出した全町避難の指示に従わなかった。その方が寝たきりの患者らにはよかった。政府は再稼働に際し、原発から五キロ以遠は屋内退避とした。教訓を生かしたように見える。
しかし本当の教訓は「とどまることは無理」である。スタッフの中には、子どもを連れて避難しなければならない人もいた。医薬品だけでなく、入院患者の食事、シーツの交換なども必要だが、継続できたのは善意や幸運が重なったことも大きかった。事故が起きれば、医療は継続できない。医療がなければ、人は住めないということである。

◆明日の日本の姿
原発事故からもうすぐ六年。関心が薄れ、遠い出来事のように感じている人が少なくない。
院長の死は「原発事故は終わっていない」と訴えているようだ。「被災地の現状は、明日の日本の姿」と警告している。
政府や自治体は一病院の存続問題と事態を矮小(わいしょう)化してはならない。被災地に真摯(しんし)に向き合えば、将来、日本が必要とする知恵を得ることができるはずだ。