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「東日本・津波・原発事故大震災」発生時からその場所に留まり、入院患者を守り続けてきた福島県双葉郡広野町の高野病院は、太平洋を見下ろす高台にある。爆発事故を起こした1F(東京電力福島第1原子力発電所)から南に22キロのこの病院は、原発がある双葉郡内で唯一、入院ができる病院として地域医療を担ってきた。
2011年3月12日午後4時前、1F1号機が水素爆発。次いで14日に3号機、15日に4号機が爆発。その後広野町には、放射能汚染の危険性があるため、全町民に避難指示が出された。当時、高野病院には、高齢の寝たきりの患者が37人いた。容体は重く、動かせば命の危険性もあった。「患者を置いて逃げるわけにはいかない。放射線のリスクは、無理な移動より、建物の中にいた方がはるかに低い」。高野英男院長の判断で留まることになった。
院長の娘で、病院の理事長を務める高野己保(みお)さんが当時を振り返る。「非常時には、患者やお年寄りを最優先に助けるべきなのに、原子力災害は、弱者を切り捨てるのだと実感した」
震災後も高野院長は、「地域医療の灯を消してはいけない」と、一人で頑張ってきた。しかし16年12月30日、院長は火災に巻き込まれて亡くなった。81歳だった。今、高野病院が抱える大きな問題は常勤医師の確保だ。
そして今年4月、高野院長死去後4人目の院長が赴任した。社本博医師、52歳。社本院長は6年間石垣島の県立病院で脳外科医を務めた。その時の経験と縁が、福島への医療支援に繋(つな)がった。社本院長が言った。「高野病院は日本の地域医療の問題点を象徴している。震災後は特に経営状態も苦しい。私の使命は、行政と連携を深めながら経営改善に当たること。そして、病気を治すことだけでなく、地域住民の健康増進を図っていく」と。