原発避難者訴訟が結審 公正な判決を願い涙:群馬 - 東京新聞(2016年11月1日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201611/CK2016110102000162.html
http://megalodon.jp/2016-1101-2003-37/www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201611/CK2016110102000162.html

提訴から約三年たった三十一日に結審した、東京電力福島第一原発事故による県内避難者らが国や東電に損害賠償を求めて前橋地裁で起こした集団訴訟。事故から約五年半。原告百三十七人のうち三人が亡くなるなど時の流れがにじむ。来年三月十七日の判決言い渡しに向け、原告の一人は「公正な判決が出るまで頑張る」と決意を新たにした。 (川田篤志
原告の弁護団鈴木克昌団長)は閉廷後、前橋市内で報告集会を開き、原告二人が思いを吐露した。
「福島は人間も生きものたちも一瞬にして希望、命を奪われた」。震災後に福島県いわき市から前橋市へ夫と避難してきた丹治杉江さん(59)は事故の悲惨さをこう表現する。
多くの原告が前橋地裁の法廷で苦境を訴えたことについて、「『原発が爆発した瞬間から地獄が始まった』と震える声で三人の子どもを連れて避難した日々を告白した人。裁判が続く中で主人を亡くした人。出産を諦めた人。子どものいじめや体調不良を心配しながら暮らしている人。全員が震える足を踏ん張り、償って謝ってほしいと訴えた」と振り返り、流れる涙を拭った。
「(提出された)大量の陳述書の一文字一文字が福島県民の悲しみ、喪失、憤り、無念さです」と強調した丹治さん。「物理的被害はみんな違うが、苦しみの根っこにある原因は原発事故。国と東電が責任を認め、公正な判決が出るまで頑張りたい」と前を見据えた。
事故後に家族で福島県南相馬市から前橋市内に移り住んだ女性(49)はこの日の法廷を傍聴している間、「苦しかったなと涙が止まらなかった」と振り返る。
約二十年続けていたブライダルプランナーの仕事は解雇された。仕事の都合で夫と一時期離れ離れに暮らした不安な日々。高校生の長男は福島から避難したことを理由に他の生徒から陰口を言われたという。

  • 女性は「原発事故によって失ったこと、諦めたことは本当に多かった。事故をあやふやで終えたくない。私たちはこの傷を一生負い続けるが、他の人に経験してほしくない」と訴えた。