「国に責任」に歓声・拍手 原発避難者集団訴訟で初判決:群馬 - 東京新聞(2017年3月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201703/CK2017031802000156.html
http://megalodon.jp/2017-0318-1252-36/www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201703/CK2017031802000156.html

十七日に判決が言い渡された東京電力福島第一原発事故の避難者らによる前橋地裁集団訴訟。全国で争われている同種の訴訟で、初の司法判断が出るとあって大きな注目を浴びた。東日本大震災発生から六年。県内には今も千人近くの避難者が暮らす。「大きな一歩だ」「国と東電は避難者の苦しみを受け止めて」。支援者や県内の避難者らは固唾(かたず)をのんで、この日の判決を見守った。 (川田篤志、原田晋也、菅原洋、大沢令、古賀健一郎)
前橋地裁21号法廷。原道子裁判長が判決主文を読み上げる五分ほどの間、六十人で満席となった傍聴席は水を打ったように静まりかえった。国と東電に「連帯して金員(賠償金)を支払え」と告げる裁判長。静寂に包まれた法廷で声が響く中、遺影を強く握り締める原告女性もいた。
地裁前には支援者や報道陣ら約百五十人が詰めかけた。判決言い渡し直後に、裁判所から原告側の男女二人の弁護士らが駆けだした。「一部勝訴」「国の賠償責任を認める」の字が躍る幕を広げると、「よくやった」「良かった」との歓声と拍手が起きた。
請求が棄却された原告も出たが、支援者の一人で高崎市の元教員の男性(71)は、賠償を認める判決に「今後に希望が持てる判決」と話した。
全国の注目を集めた判決。傍聴希望者への整理券の配布場所となった県庁には、開廷三時間前から大勢が集まった。知人が原告だという無職女性(80)=前橋市=は「なぜ普通の人が苦しまなくてはいけないのか。『原発は安全だ』とうそをついてきた国と東電が責任を負うべきだ。一人の人間として司法判断を見届けたい」と批判して、言い渡しを待った。
◆福島ゆかりの人の思い 
福島県浪江町から太田市に避難しているシンガー・ソングライターの牛来(ごらい)美佳さん(31)は「お金には換えられない事態だが、補償が十分でないと感じる原告の気持ちはよく分かる」と話した。
原発事故当時、保育園に通っていた牛来さんの長女(11)は今春、小学六年生になる。今でも保育園での友達の名前を挙げて「どうしているのかな」と話すことがあるという。避難で断ち切られた日常。牛来さんは「子どもが小学校に入学して卒業してしまうほどの長い時間がたってしまった」と歳月の重みを振り返る。
浪江町は今月末で一部地域の避難指示が解除される。しかし、生活の基盤ができているため「娘を友達と引き離すようなことはできない」と、当面は太田市での生活を続けるつもりだ。
「福島に戻りたくても戻れず、これからも避難生活が続いていく人はたくさんいるはず。原告の人たちの踏み出した一歩が大きく広がっていけばいいと思う」と、判決をきっかけに避難者への救済が拡大することに期待を寄せた。
浪江町出身の今野義雄さん(70)=渋川市=のふるさと、津島地区は「帰還困難区域」だ。放射線量が高く、許可なく立ち入れない。
実家は荒れ果てた状態という。地元の住民らは「故郷を元の姿に戻してほしい」と原状回復などを求め、国や東電を相手に集団訴訟を起こした。群馬県内に一時避難した今野さんの母ノブ子さん(91)も原告に加わっている。
今野さんは十七日、福島地裁郡山支部で訴訟の審理を見守った。国と東電の過失責任を認めた前橋地裁判決について「評価はするが、あくまで出発点。国と東電は被害者に向き合って謝罪し、避難している人の百人百様の苦しみを受け止めてほしい。原発のない社会を願っている」と話した。