<大川小訴訟>勝訴にも不満が残る遺族 - 河北新報(2016年10月27日)

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司法に託した願いが届いた。宮城県石巻市大川小津波訴訟判決で、仙台地裁は26日、学校の責任を認めた。児童23人の19遺族が市の対応に失望を深め、提訴に踏み切ってから約2年7カ月。「一つの山を越えた」。長い道のりの末、苦闘がようやく実を結んだ。
「学校は津波を予見し、子どもの命を守らねばならないとの判決は一定の評価をしたい」
遺族16人が出席した判決後の記者会見。6年生だった長男大輔君=当時(12)=を亡くした原告団長の今野浩行さん(54)は険しい表情を崩さぬまま、こう総括した。
3年生だった一人息子の健太君=同(9)=が犠牲となった佐藤美広(みつひろ)さん(55)は「学校や、子どもたちの安全とは何か。裁判所が判決でくぎを刺してくれた。健太の眠る墓にやっと入れるとの気持ちだ」。胸のつかえが取れた様子でマイクを握った。
遺族は東日本大震災後、市への不信感を募らせてきた。関係者の証言メモ廃棄、亀山紘市長の「自然災害の宿命」発言−。判決は、市の事後対応を巡る責任を認めなかった。3年生だった長女未捺(みな)さん=同(9)=を亡くした只野英昭さん(45)は「原告の意見が通らなかった」と、勝訴の判決でも不満が残ると強調した。
児童たちがあの日、校庭にとどまった約45分間に何が起きたのか。遺族はその真相を求めてきたが、新たに判明した事実はほぼなかった。遺族は「もやもやが残る」とする一方、市などとの協議を視野に「これから本当の検証が始まる」と口をそろえる。
「裁判でなぜ子どもが死んだのか、原因究明はできていない。自問自答しても、何に勝ったのか答えが出ない。原因を究明しないと、再発防止にならない。判決はスタートだ」
6年生だった三男雄樹君=同(12)=を亡くした佐藤和隆さん(49)は改めて覚悟をにじませた。