<大川小訴訟>教員の防災意識どう判断 - 河北新報(2016年10月25日)

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161025_13024.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0915-21/www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161025_13024.html

大川小校舎=2016年2月11日、宮城県石巻市

学校の管理下にある児童の命を守るため、教職員に求められる防災意識とは−。宮城県石巻市大川小津波訴訟では、仙台地裁がこの点をどう判断するかも重要な焦点となる。遺族側は「教職員は児童の安全を最優先に配慮すべき規範的立場にあり、安全を守るため専門知識や判断力が求められる」と主張。一方、市側は「行政の被害想定に基づく当時の認識は、公立小学校の一教職員としてやむを得ない」と反論する。過去の訴訟では、災害発生時の状況や事前の科学的知見を基に責任の有無が判断されてきた。
最高裁は1990年3月、東京都立高専の山岳部員が雪崩で犠牲となった事故を巡る「木曽駒雪崩遭難事故訴訟」で、「教師は事故を防止すべき一般的な注意義務を負う」と指摘。「引率教師が通常の注意を怠らなければ、雪崩の危険を十分予見できた」と認めた東京高裁判決を支持し、雪崩は不可抗力だったとする都側の主張を退けた。
最高裁が登山を引率した教師の過失責任を認めたのは初めて。大川小訴訟でも遺族側が引き合いに出し、「小学生は高校生より教員に対する依存度が高く、安全配慮義務の程度は一層大きい」と主張した。


「サッカー落雷事故訴訟」最高裁は2006年3月、落雷事故を回避する方法が多くの一般書籍や児童書にも記載されていた点を挙げ、「暗雲が立ち込め、雷鳴が聞こえていた状況から、危険が迫っていることは予見できた」と判断。「落雷事故は予見不可能」とした一、二審判決を覆し、児童生徒の命を預かる教育関係者に警鐘を鳴らした。
落雷訴訟で遺族側の代理人を務めた津田玄児弁護士(東京)は「津波発生時、川や海に近づかず、高い所に避難すべきだというのは震災当時も一般的な認識だった。行政の事前想定にただ従うのではなく、命を預かる学校が子どもをどう守るかという視点が重要になる」と話す。

[木曽駒雪崩遭難事故訴訟]1977年3月、東京都立高専山岳部のパーティー10人が長野県の中央アルプス駒ケ岳で雪崩に襲われ、死亡した生徒ら7人の遺族が都に損害賠償を求めた。最高裁は90年3月、「学校行事で引率する教師には、学生を危険から保護する注意義務がある」とし、都に計約4億2000万円の支払いを命じた二審判決を支持し、都側の上告を棄却した。

[サッカー落雷事故訴訟]1996年8月、大阪府内で高知市の私立高1年の男子生徒=当時(16)=がサッカー大会の試合中、落雷に遭い失明した。生徒側は学校などに損害賠償を求め提訴。一、二審判決は請求を棄却したが、最高裁は「教諭は落雷を予見できた」として審理を差し戻した。高松高裁は2008年9月、約3億円の支払いを学校などに命じ、確定した。