http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2016092202000201.html
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イスラエルの封鎖で「陸の孤島」と化しているパレスチナ・ガザ地区出身の男性が歌で自らの未来を切り開いた奇跡の実話を映画化した「歌声にのった少年」が二十四日、公開される。パレスチナの絶望的な現実を世界に突きつけた「パラダイス・ナウ」と「オマールの壁」でアカデミー賞外国語映画賞に二度ノミネートされたハニ・アブ・アサド監督(54)が本作で描くのは“希望”。来日した監督に聞いた。 (浜口武司)
「この六十年間、パレスチナにあるのは敗北の物語ばかりです。パレスチナ人は自分たちの土地も、人生さえもコントロールを失い、自由を得ようという試みはすべてうまくいかなかった。これは数少ない希望の物語なのです」。イスラエル北部ナザレに生まれたアサド監督はそう話す。イスラエルが「ユダヤ人国家」を掲げる限りは「アラブ系イスラエル人」と呼ばれることを拒否し、自らをパレスチナ人と断言する。
物語の主人公は、二〇一三年にガザ地区を脱出し、中東で人気のテレビオーディション番組「アラブ・アイドル」で優勝したムハンマド・アッサーフ(27)。映画では、姉たちとバンドを組んで結婚式やモスクで歌った少年時代から、歌手になる夢をあきらめタクシー運転手になり無気力に過ごした青年期、エジプト・カイロで行われた番組予選やレバノン・ベイルートの本選までが描かれる。
アッサーフが優勝した瞬間は、中東各国で八千万人が視聴したとされる。アサド監督自身も、パブリックビューイングが行われたナザレの広場で群集に混じって見守った。「彼の歌声がみんなを一つにしてくれた。老人も若者も。金持ちも貧しい人も。宗教も関係なく。とても喜びを感じた」と監督は振り返る。
ベイルートやヨルダン川西岸ジェニンのほか、ガザでもカメラを回した。「本当は全編をガザで撮りたかったが、イスラエル当局の許可が出ず、四カ月、毎日電話して、ようやく三日間だけ許可が下りた。最後は『死んでも知らないぞ』という感じでした」と笑う。ガザにはイスラエル軍による攻撃の爪痕が生々しく残っていた。大勢の人が死んだ場所で撮影することに、監督は罪悪感を感じたという。「だけど、ガザの人々は逆に私たちを励ましてくれたんです」と明かす。
少年時代のアッサーフら子役にはガザの子どもたちを起用。青年期はテルアビブ出身の俳優タウフィーク・バルホームが演じたが、アッサーフが優勝するラストシーンは本物の記録映像を使った。「タウフィークには悪かったけど、演技で再現しようと思っても、無理だと感じた。あのリアルな瞬間はそこにしかないものがあったのです」
ヨルダン川西岸ではイスラエル人による入植活動でパレスチナ人の土地が今も奪われ続け、〇七年から封鎖が続くガザは「世界最大の野外監獄」と呼ばれる。「今が悪くても、より良い未来が待っているかもしれない。第二次世界大戦の後、ドイツで共存の社会が育まれたように」。アサド監督は希望を捨てない。