(余録)ローマ教会の免罪符販売を批判するマルティン・ルターが… - 毎日新聞(2017年11月3日)

https://mainichi.jp/articles/20171103/ddm/001/070/148000c
http://archive.is/2017.11.03-001305/https://mainichi.jp/articles/20171103/ddm/001/070/148000c

ローマ教会の免罪符(めんざいふ)販売を批判するマルティン・ルターがドイツ東部のウィッテンベルク城教会の扉に「95カ条の論題」を張り出したのは1517年だった。昔、世界史の授業で習った宗教改革の発端である。
久々に思い出したのは先日、メルケル首相や新旧両教会の代表が同地に集まり、宗教改革500年の式典が行われたとのニュースを聞いたからだ。参列者は多様な意見を尊重する「寛容」など、改革の遺産の重要さを強調したという。
だが「寛容」の思想の定着までには血みどろの宗教戦争を経験せねばならなかった欧州の歴史だ。さらに信教の自由が確立したとされた後も「寛容」は何度も厳しい試練をくぐる。では100年前の宗教改革400年はどうだったか。
時は第一次大戦の最中。ドイツは仏露との戦争をカトリックロシア正教の国との闘争に見立て、ルターの事績を戦意高揚に利用した。例の教会の扉も修復され「論題」が刻まれた(深井智朗(ふかい・ともあき)著「プロテスタンティズム中公新書
ヒトラーの時代にルターの著作がユダヤ人迫害に利用されたことも忘れるわけにいかない。歴史は必ずしも「進歩」するとは限らない。先日の式典で寛容が強調されたのも、反イスラムを掲げる排外主義が台頭する中でのことである。
式典と同じ日、米ニューヨークではイスラム過激派に影響された男の自動車暴走テロが起こった。異質なもの、異なる信仰を認め合う世界をめざす営みが、なお試練にさらされる宗教改革500年である。