(筆洗) - 東京新聞(2016年7月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016070502000143.html
http://megalodon.jp/2016-0705-0906-49/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016070502000143.html

広島を訪問した経験もある、その作家は「ヒロシマを生みだしたのは、アウシュビッツである」と書いた。奇妙に聞こえるか。
残虐非道さにおいて二つの出来事に共通点はある。だが、ユダヤ人大虐殺と原爆投下に直接の因果関係は認めにくい。その作家はそうではないと言った。二日亡くなったノーベル平和賞受賞者でユダヤ系米国人作家のエリ・ウィーゼルさんである。八十七歳。
ホロコースト生存者として自伝的小説「夜」強制収容所での苛烈な体験を克明に描いた。「人類へのメッセンジャー」。それが平和賞受賞の理由である。忌まわしき過去の記憶をトーチのように掲げ、照らし、人類を正しき道に導く。それが虐殺を生き残ったウィーゼルさんが自らに課した重い任務だったのだろう。
なぜ、アウシュビッツヒロシマがつながると考えたのか。「無関心」がキーワードである。当時連合国はユダヤ人の受難に強い関心を持っていなかった。それを見た米国は原爆投下の非道を行っても世界はそれほど非難しまいと踏んだ。ウィーゼルさんの見方である。
荒唐無稽な意見とは思えない。誰かへの残虐な行為を見て見ぬふりをし、それを許す「土壌」を作れば、いずれ自分も残虐さの犠牲になる。
さて、一本のトーチが持ち手を失い、地面に落ちた。拾い上げて道を照らさねばならぬ。それは人類全体の任務である。