http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017080602000114.html
https://megalodon.jp/2017-0806-1517-38/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017080602000114.html
シューベルトの交響曲第七番「未完成」はなぞめいている。なぜ第二楽章までしか書かなかったか。映画「未完成交響楽」をご覧になった人なら、シューベルトの失恋が原因とおっしゃるかもしれないが、あれはフィクションらしい。
もうひとつのなぞは発表までの経緯である。初演は一八六五年というから、その死から三十七年も後。シューベルトから楽譜を送られた友人が書庫にしまい込んだまま忘れてしまったそうだが、音楽家でもあった友人が才能に嫉妬し隠していたのではないかという説もある。
「未完成」をめぐる別のミステリーか。ぜひ真相を知りたい。舞台は広島である。原爆投下から約半年後の一九四六年二月。旧制広島高校(現広島大)で演奏会が開かれた。曲は「未完成」だった。
三十人ほどの演奏に会場は人であふれかえった。音程は怪しかったそうだが、その音はかえって人間くさく、温かく聞こえたかもしれぬ。どれほどの方が傷ついた心を癒やし、人間らしさを少しでも取り戻すことができたことだろう。手を合わせたくなる。
演奏会の経緯、どなたが演奏したのかもはや定かではない。そしてなぜ「未完成」だったのかも。
悲哀から希望へ。その曲調は復興への祈りだったかもしれぬ。あるいは原爆投下という残虐性に悲しき人間の不完全さ=未完成を思ったか。今年も八月六日がめぐってきた。