(筆洗)詩人の柴田三吉さんは十年ほど前に、広島での平和記念式典に足を運んだとき - 東京新聞(2016年1月7日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016010702000148.html
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詩人の柴田三吉さん(63)は十年ほど前に、広島での平和記念式典に足を運んだとき、三万人もの韓国・朝鮮人が原爆の犠牲になったことを知った。
そうして書いたのが、昨夏の終戦七十年の節目に出版された『平和をとわに心に刻む三〇五人詩集』に収められた「ちょうせんじんが、さんまんにん」。家族を原爆で失ったという女性の独白が、しずかに響きわたる詩である。
<生涯をかけて見るはずだった光を わたしはそのとき 一瞬にして見てしまいました。生涯をかけて見るはずだった光が束になって からだのなかに入ってしまったのです>
彼女の夫も二人の子供も瞬時に消えた。三人の小さな骨を入れた牛乳瓶だけを持って半島の故郷に帰った女性は、こう語り続ける。<夫の顔 子供の顔は その光に埋もれて もう思い出せません。思い出すためには闇が必要でありますが わたしのからだのなかに 夜の草原のようなやわらかい闇はありません>
そういう残酷な光を、どうしても手にしたいのか。北朝鮮はきのう、四度目の核実験を強行した。「水爆実験の大成功は、民族の千年、万年の未来をしっかりと保証する歴史の大壮挙、民族史的出来事となる」と勝ち誇る姿の、何と虚(むな)しく悲しいことか。
それは、ヒロシマナガサキで焼かれた幾万の韓国・朝鮮人の残影を踏みにじる「民族史的大暴挙」なのだが。