(余録)安倍晋三首相はついに手が届くと思っているかもしれない… - 毎日新聞(2016年7月5日)

http://mainichi.jp/articles/20160705/ddm/001/070/111000c
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安倍晋三首相はついに手が届くと思っているかもしれない。参院選で与党と一部野党の改憲勢力が3分の2以上の議席を占めれば国会で憲法改正案を発議できる。だが、表立って改憲には触れない。どこを何のために変えようとするのか。肝心の論点が見えないまま小声で数合わせが語られる。
3分の2の議決は当然、過半数の多数決よりハードルは高いが、もっと高いものも身近にある。その一つがマンションの改修だ。法律によると共有部分の著しい変更をする場合は原則、区分所有者の4分の3以上の決議などが必要だ。例えば階段をエレベーターにする工事が該当する。
多数決のハードルを上げれば、より正しい結論を出せるのか。中央大法科大学院教授の野村修也(のむらしゅうや)さんが東京新聞に書いていた。ある5階建てマンションでの出来事だ。
エレベーターの改修費が議論になった時、普段は使わない1階の住民は負担を拒んだ。すると2〜5階の住民が怒り、1階の住民だけが負担する案に5分の4の住民が賛成したという。野村さんは多数決が常に正解を得るとは限らない例に挙げた。
ものごとを最後に決めるには多数決に頼るほかないだろう。芥川賞の選考会も同じだ。作家である選考委員たちは複数の候補作について「○」「×」「△」の評価を明らかにする。ここからが本番だ。選考委員は自分の文学観をかけて激論を交わす。鵜飼哲夫(うかいてつお)さんの「芥川賞の謎を解く」に詳しい。
何が「正解」かは難しい。芥川賞を逃した後に大作家になった人もいる。それでも確かなのは、多数決ありきでなく議論を重ねなければ核心には近づけぬということだ。