http://mainichi.jp/articles/20160401/dde/012/010/002000c
「専守防衛」を旗印とした自衛隊の任務は、3月29日施行の安全保障関連法によって劇的に変わった。集団的自衛権の行使を認めたことで、海外での武力行使が可能になるのだ。同法に反対してきた元自衛官や家族は、どんな思いで今、「戦争ができる国」になった日本を受け止めているのだろうか。【堀山明子】
「憲法が最強の盾」 山形・元2等陸曹
山形県鶴岡市で3月19日に開かれた安保関連法廃止を求める集会に初顔のゲストスピーカーが招かれていた。地元出身で、自衛隊の元2等陸曹、森村真人さん(38)。メモを手に、慎重に言葉を選びながら重い体験を語り始めた。
「昨年、19年間勤務した自衛隊を退職しました。この国の向かう方向に疑問を持ち、日本の未来のために何か行動しようと思いました」
森村さんは1996年に入隊。2011年3月の東日本大震災では宮城県石巻市に入り、分隊長として行方不明者の捜索に参加した。「厳しい災害現場で、国民のために活動できた自衛隊を誇りに思った。素晴らしい仲間もいた」。演説には今も変わらぬ自衛隊への愛着がにじむ。しかし、米国の戦争のために海外に出る新たな任務は納得できないとの思いを語った上で、悩んだ末の結論を自分の言葉として訴えた。「憲法9条は国民を守る最強の盾としてつくられた」
この演説は森村さんのフェイスブックに掲載されている。古巣の仲間の反応はどうだったのだろう。山形を訪ねると、森村さんは「自衛隊から反応は一切なし」と諦めたような口調で語った。「自衛官は、政治活動はしないと宣誓させられますからね。そのせいか政治に関心がない隊員が多い。自分たちの命にかかわることなのですが……」
新人隊員は研修を終えるとすぐに宣誓への署名を迫られる。宣誓は「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守(じゅんしゅ)し」と大前提から始まる。そして「政治的活動に関与せず」「危険を顧みず、身をもって責務を完遂」などと行動規範が続く。森村さんも異議を唱えず署名した。
海外活動に小さな疑問が生じたのは12年秋、シリアとイスラエル境界のゴラン高原で自衛隊が展開していた国連平和維持活動(PKO)に志願し、東京で研修を受けていた時だった。非番の日に偶然訪れた中東地域の現代アート展。米軍の空爆にさらされながら、平和を願う市民の日常生活をテーマにしたイラク人作家らの作品を初めて見た。作品から浮かび上がったのは中東諸国に対する欧米社会の偏見。米軍が掲げる「正義の戦争」というイメージが崩れ、「米軍は罪のない市民を殺りくし、憎悪の連鎖を生んでいるのではないか」と感じた。
その年末、シリア内紛の激化を理由に自衛隊はゴラン高原からの撤退を決め、研修は途中で打ち切りに。「危険は覚悟の上なのに」と落胆した一方で、「仲間が撃たれることを想定した訓練の経験はない。現地に行ったら対処できない事態に巻き込まれたかもしれない」とも思った。米軍、そして海外での自衛隊の活動についての疑問を消し去ることはできなかった。
戦争と平和について考える資料を読みあさり、自分で考える練習を始めた。13年12月6日深夜、自民、公明両党が参院本会議で特定秘密保護法を強行可決した様子をインターネット中継で見て、戦争へ向かう足音が聞こえた。「これが平和だと思っていた日本か? おかしい」。家業を継ぐ意思もあり、自衛隊を辞める選択を考え始めた。
昨年3月、「実家のすし店を継ぐ」という理由で退官。米軍への戦争協力に対する疑問が原因の一つとは誰にも言えなかった。だが、いよいよ安保関連法が施行され、仲間に身の危険が迫った今、「仲間に代わって自衛隊の外から、反対の声を上げるしかない」と覚悟を決めた。後方支援など新たな任務での宣誓を求められた時、拒否できる隊員がいるとは思えない。「外からの運動で仲間を守れるのか」。心が揺れる日々は続く。
参院選「命かかった1票」 長崎・元海曹長
長崎県佐世保市在住の元海曹長、西川末則さん(64)はフェイスブックで、自衛官やOBらに今夏の参院選では野党候補に投票するよう訴えている。目的はやはり安保関連法の廃止だ。36年間、自民党を支持してきたが、考え方を変えた。自衛官は政治活動ができないことを念頭に、こう語るのだ。
「自衛官やOB、家族は声を上げなくていい。任務追加が予想される南スーダンの駆け付け警護を拒否したい隊員や家族は野党候補に入れてください。投票は誰にも見られません。命がかかった1票です」
佐世保市は、海上自衛隊佐世保基地▽陸上自衛隊相浦駐屯地▽米海軍佐世保基地の3拠点に加え、17年度末にも「日本版海兵隊」といわれる陸自の離島防衛部隊「水陸機動団」の新設が予定されている。安保関連法によって海外の離島で米海兵隊と一体となって活動するとの見方もある。
西川さんは「佐世保の軍事施設が増強されるのは賛成だが、米軍とは一線を画すべきだ。実戦訓練を積んだ米軍と、日本を守る訓練しかしていない自衛隊が一体となれば、必ず自衛隊の危険性は増す。そして最初に犠牲になるのは若い海曹士だ」と危惧する。さらに後方支援活動での落とし穴を指摘する。戦闘行為が起これば部隊の判断で撤退できると政府は説明するが、西川さんは非現実的と考える。「安倍晋三首相は現場を知らない。交戦状態で現場指揮官の判断で撤退するなんて、できるはずがない」「殺すな、殺されるな」 福岡・隊員の家族
「愛する人を戦地に送るな」と訴える富山正樹さん=福岡市の天神コア前で、堀山明子撮影
元自衛官らの訴えが、自衛隊内部にどう影響しているかは見えない。しかし、自衛官の家族の心にはジワリと響いているようだ。福岡市在住の富山正樹さん(52)は、安保関連法に反対する元自衛官の話が載った記事や投稿を現役自衛官である20代の息子に送り続けている。胸にあるのは、昨年の日米共同訓練に参加した後に除隊した若い隊員の証言。「戦場では女性や子供を殺しても仕方ない」と話す米兵にショックを受けたとの話に触れ心がざわついた。「お前も日米共同訓練でそんな話を聞いていないか」とも問い掛けた。だが、息子は返事をしてこない。
富山さんは昨年7月から週2回、福岡・天神など繁華街で「愛する人を戦地に送るな!」とプラカードを手に一人で立ち始めた。息子の死が怖いだけではない。海外で人を殺したりしないか、帰国しても心身が傷ついたりしてはいないか。そう想像するだけで胸が苦しくなり、何かせずにはいられなかった。「いのちを守るひとりスタンディングアピール」と名付けたが、今では20人前後の仲間がいる。
3月27日夜、福岡市に富山さんの演説を聴きに行った。話題は、ニューヨーク在住の長島志津子さん(65)とのメッセージのやりとり。米永住権を持つ次男が03〜06年、イラク戦争を機に計4回出兵したことを、長島さんが今も悔やんでいる−−という内容だった。次男は10年に退役したが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)で、今も心を閉ざしているという。
富山さんは訴えた。「息子を戦地に送ったことを悔やんでいる長島さんは、日本の皆さんに同じ思いをしてほしくないと私にメッセージを託しました。私たちはまだ首の皮一枚つながっている。参院選で野党が勝てば、法は施行されても運用を止められます」
富山さんの紹介で長島さんに電話で取材できた。
「息子がPTSDで社会復帰できないから苦しいだけじゃない。罪もないイラク市民を息子が殺したかもしれない。でも、それを聞くことすらできない。無事に帰っておいでと何度も叫んだ私は、何なのかと自問してしまう。殺されそうになったら、イラク人を殺してでも無事に戻ってと言ったに等しいでしょう。その罪悪感、分かります?」
イラク戦争が始まる前夜の03年3月、長島さんは車の窓を開け、大音量でジョン・レノンの「イマジン」をかけ、ニューヨークの街を走り回った。イラク戦争反対と息子の無事を祈りながら。今はその時を思い出すだけでつらいという。長島さん自身も最近、カウンセラーから「家族として戦争を追体験したPTSD」と言われた。
富山さんは4月にも提訴予定の安保関連法に対する違憲訴訟の原告に加わる。難しい裁判になりそうだが「裁判闘争が戦争協力を止める抑止力になるかもしれない」と考えている。「海外で息子が殺し殺されず無事に帰国したならば良かったということではありません。長島さんのような精神的苦痛は自衛隊員の家族も持つかもしれない。日本社会はそれを受け入れられますか」
イマジンを聴きながら、想像してみた。「戦争ができる国」になった日本。問われているのは「自衛官の命」だけではない。