(余録)江戸時代に「台所訴」と呼ばれた駆け込み訴えがあった… - 毎日新聞(2016年3月23日)

http://mainichi.jp/articles/20160323/ddm/001/070/165000c
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江戸時代に「台(だい)所(どころ)訴(うったえ)」と呼ばれた駆け込み訴えがあった。幕府公認の駆け込み寺は先日も触れたが、こちらはやはり悪縁を切るために武家屋敷や代官所、関所、名主宅などに駆け込む慣行をいう。
つまり武家の権威によって夫たちが手を出せない場所にともかく駆け込んでしまおうというのである。それが「台所」なのは、武家屋敷の中でも庶民の出入りが許されていたからで、言葉には非公式な訴えとの意味も込められた(高木(たかぎ)侃(ただし)著「三くだり半と縁切寺」)
公には許されぬ訴えだが、そこは「窮(きゅう)鳥(ちょう)懐に入るは仁人の哀(あわ)れむ所なり」である。町世話役などを通し正式に離縁となることも多かった。世俗の力や法から逃れられる聖域をアジールと呼ぶが、悪縁から逃げるのに必死な人の目には台所も聖なる避難所に見えたのか。
その中学生は両親の暴力を逃れコンビニに駆け込んだことがあったという。それを経て児童相談所は虐待と認定し、以後も生徒は児童養護施設に行きたいと繰り返し訴えていた。だが職権による保護は見送られ、生徒は自殺を図って意識不明となり先ごろ亡くなった。
「切迫した事態とは判断しなかった」という児相の釈明にもそれなりの理由はあるのだろう。だが保護を求めて生徒が駆け込もうとした聖域の扉を閉ざしてしまった事実には救いがない。およそ子どもを守るのを最大の使命とする機関にはあまりに無残な結果である。
専門家ゆえに犯す過ちを「エキスパートエラー」という。児相の処置の当否はこれから検証せねばならないが、虐待に苦しむ子どもらにとって他家の台所やコンビニの方が頼りになるようでは困る。