(余録) 江戸の昔である… - 毎日新聞(2020年2月20日)

https://mainichi.jp/articles/20200220/ddm/001/070/102000c
http://archive.today/2020.02.20-001541/https://mainichi.jp/articles/20200220/ddm/001/070/102000c

江戸の昔である。夫の虐待を逃れて縁切り寺に駆け込もうとする女、寺まで来たはいいがすでに日は暮れ、門は閉じていた。後からは駆け込みを察した夫が追いかけてくる。さて、どうしたらいいだろう。
正解は、かんざしでも、くしでも、履物(はきもの)でも、身につけているものを塀越しに投げ込めばいい。それで駆け込みが成立したという。「泥足で玄関へ上がる松ケ岡」の松ケ岡は鎌倉の東慶寺、草履(ぞうり)を投げ入れ、泥足での駆け込みである。
当時の女性の避難所だった駆け込み寺には閉門時も門前払いはなかった。片や今日の児童虐待から子どもを守る児童相談所、そこに未明に駆け込んだ小学生女児がインターホン越しの応対で中へも入れてもらえない驚きの門前払いだ。
神戸市の「こども家庭センター」で当直中のNPO職員が、午前3時に助けを求めてきた女児を「警察に相談して」と追い返した一件である。幸い女児は無事だったが、職員は女児の年齢を見誤り、切迫した事態でないと思ったという。
この話と前後して、昨年1月に父親の暴力を訴えながら虐待死した千葉県の栗原心愛(くりはら・みあ)さんが残した「自分への手紙」の話も報じられた。「未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」。終業式で自分が読むはずの励ましだった。
児相の方々には改めてお願いをする。心愛さんが切実に求めた未来に思いをめぐらし、子どもの身になって考えることを。塀越しに投げ込まれるどんな小さなサインにも目をこらし、耳をすませていただきたい。