核の悲惨さ 後世に 被爆者の証言を高津で聞く集い:神奈川 - 東京新聞(2015年8月7日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150807/CK2015080702000171.html

広島に原爆が投下されてから70年の節目となった6日、川崎市内では被爆者の証言に耳を傾ける集会が開かれたり、国会で審議中の安全保障関連法案に反対する署名活動が行われた。参加者は戦火を繰り返してはならないとの思いを新たにした。 (上條憲也、山本哲正)
「倒壊した家からはい出て周囲を見渡すと、とんでもない大きな爆弾で広島は全滅したと思った」。高津区の溝ノ口教会では被爆者の証言を聞く集いがあり、十四歳の時、広島の爆心地から一キロの場所で被爆した佐藤良生さん(84)=横浜市栄区=が、こう語った。
集会は「8・6 One Pi:ce」といい、宮城県石巻市に拠点を置く市民団体が被爆の記憶を後世に伝えようと各地で開いている。メンバーが川崎市にもいるため市内で初めて開かれ、約三十人が訪れた。
焦土と化した広島で七十年前に採火されて以来、福岡県八女市星野村で継承されてきた「平和の火」がランタンにともされ、佐藤さんの前のテーブルに置かれた。火は当時、軍の任務で広島にいた故・山本達雄さんが故郷の星野村に持ち帰ったもので、今月初めに石巻専修大三年の千葉裕規さん(21)が八女市を訪ね、携帯カイロに分火してバスで運んだ。「この火を見て、いかに悲惨なことかを思い出してもらえれば」と佐藤さん。
集会の様子は、多摩区専修大ネットワーク情報学部三年生の山本倫平さん(20)らがビデオ撮影などで協力した。母親(41)と弟(9つ)と参加した川崎区の小学六年生、西内健大君(11)は佐藤さんの話に「たくさんの人が亡くなり、本当にたいへんだったことが分かった」。今朝は平和記念式典の模様をテレビで見ながら一緒に黙とうをささげたそうで「こんなことはもう起きないでほしいと思った」と話した。
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麻生区小田急線新百合ケ丘駅南口では、同区の九条の会など約十団体でつくる実行委員会がイベントを開催。メンバー約五十人が「憲法違反の戦争法案の撤回に賛同して」などと呼び掛け、署名を求めたりした。
また、ボードを持ち、法案に賛成か反対か、通行人にシールを貼ってもらった。始めてから一時間で約六十人が参加したが、いずれも反対で、高校生の姿も見られた。
主催者側のリレートークで、麻生区の「緑の道九条の会」のメンバー、矢沢洋子さんは、中谷元・防衛相が法案における他国軍の支援について「核兵器の運搬も法文上は排除していない」との見解を示したことに触れ「核兵器を運ぶことを認める法案は、世界に対し恥ずかしい」と訴えた。
この日は、広島や長崎の原爆被害などを伝える写真約五十点が用意され、会場に展示された。駅のプラットホームで死んでいた母子や、亡くなった弟を背負って焼き場を訪れた少年…。買い物の途中に寄った麻生区の主婦は「核兵器は一瞬で人間を人間でなくしてしまう。風化させてはいけない」と話した。