「核兵器は絶対悪」 ノーベル平和賞「ICAN」 サーローさん演説 - 東京新聞(2017年12月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201712/CK2017121102000067.html
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オスロ=沢田千秋】広島、長崎の被爆者らと連携し、核兵器禁止条約の採択に尽力した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))に対するノーベル平和賞の授賞式が十日、ノルウェーオスロの市庁舎で行われた。ICANの一員として英語で被爆体験を語り続けて来たカナダ在住のサーロー節子さん(85)が、被爆者として初めて授賞式で演説し「核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ」と強調。「世界の全ての国の大統領と首相に懇願する。条約に参加し、核による滅亡の脅威を永久に絶ってほしい」と訴えた。 
サーローさんは演説で、十三歳で被爆した体験を証言。「肉や皮が垂れ下がり、眼球が飛び出て、裂けた腹から内臓を出している人々が幽霊のように列をなして歩いていた」「四歳だったおいは、溶けた肉の塊となり、死ぬまで水を求め続けた」と生々しく語った。
保有国と「核の傘」に頼る国々に「私たちの証言を聞き、警告に従いなさい。あなたたちは人類を危険にさらす暴力を構成する不可欠な要素だ」と忠告。核の傘に頼る国々を「共犯者」と呼び、条約に署名しない日本政府を暗に批判した。
ICANのベアトリス・フィン事務局長(35)も演説し、「私たちは偽りの(核の)傘の下にいる。他者を支配するために造った核兵器に、実際は私たちが支配されている」と強調した。
北朝鮮の核開発を例に「核兵器は私たちを安全にするどころか、紛争を生み出している」と述べ、核抑止力による安全保障政策を重ねて批判。「全ての国に、私たちの終わりではなく、核兵器の終わりを選ぶよう呼び掛ける」と、核兵器禁止条約への参加を訴えた。
二人は演説に先立ち、賞状と記念メダルを受け取った。授賞式にはICAN国際運営委員の川崎哲(あきら)さん、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中熙巳(てるみ)代表委員(85)、藤森俊希事務局次長(73)も出席した。

<サーロー節子さん> 32年広島市生まれ。トロント大大学院修了。13歳のとき広島で被爆し、姉やおいを失う。55年にカナダ人と結婚し、同国に移住して核廃絶運動に尽力。これまで国連総会の委員会など世界中で開かれる国際会議で、被爆証言を重ねてきた。カナダ政府が民間人に贈る最高位勲章オーダー・オブ・カナダを受章した。 (共同)

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN=International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)> 核兵器廃絶を目指し、2007年にオーストラリアで設立された非政府組織(NGO)の連合体。100カ国超からの約470団体で構成し、平和や軍縮、人権といったテーマに取り組む。啓発イベントの開催のほか、国連や各国議会での演説が主な活動内容。日本のNGOピースボートは主要運営団体の一つ。事務局はスイス・ジュネーブ。 (共同)

◆核抑止力を真っ向から批判
<解説> 「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合った」。一九五六年、日本原水爆被害者団体協議会の結成宣言。戦後、差別と偏見にさらされた被爆者は、自らの苦難を白日の下にさらし、核廃絶の希求に身を投じた。
以来、約六十年を経てノーベル平和賞の演壇に被爆者がついに立った。広島の悲惨な情景を生々しく語るサーロー節子さんの演説は聴衆を圧倒。ICAN関係者が「日本人が聞き飽きた被爆体験を世界は新鮮に受け止め、ようやく耳を傾けるようになった」と語ったことを思い出す。「ヒバクシャ」は核の非人道性を象徴する世界共通のキーワードとなった。
平和賞は過去にも核廃絶に向けた活動を評価してきたが、今回は核抑止力を真っ向から批判する、世代を超えた草の根運動を評価したことが最大の特徴だ。
ICANの 事務局長は「核兵器による支配は民主主義への侮辱だ」と言い切り「私たちは道義上の多数派だ。死よりも生を選ぶ数十億人の代表者だ」と胸を張った。
しかし、世界の核弾頭の九割以上を保有する米、英、仏、中国、ロシアの五大国は授賞式に恒例となっている大使派遣を見送るなど、歩み寄る姿勢をみせない。核兵器の終わりか、私たちの終わりか。サーローさんやICANがより一層明確にした選択肢のどちらが人類の未来を照らす光か。一人一人が真剣に考える時に来ている。 (オスロ・沢田千秋)