終戦の日 激しい空中戦 神奈川県周辺、杉山順三郎さん目撃談:神奈川 - 東京新聞(2015年8月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150805/CK2015080502000172.html
http://megalodon.jp/2015-0805-0920-54/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150805/CK2015080502000172.html

一九四五年八月十五日、国民に終戦が告げられる玉音放送の数時間前、神奈川県周辺で米軍と日本海軍の航空機が戦い、横浜市に墜落した米軍機のパイロット少なくとも一人が死亡する空中戦があった。終戦の日にも激しい戦闘があったことは、あまり知られていない。目撃した杉山順三郎さん(84)=戸塚区=は「もう少し戦闘開始が遅ければ、被害者はいなかったかもしれない」と犠牲者を悼んでいる。 (志村彰太)
蒸し暑い晴れた朝。杉山さんは勤労動員で磯子区の軍需工場で働いていたが、この前日から休みを取るように言われ、家業の農作業を手伝っていた。十五日は農作業を休み、戸塚区の自宅でくつろいでいると、地響きとともに「ドーン」と何かが爆発するような音が聞こえた。外に出て「何があったの」と周囲の大人に聞き、音がした丘の上に向かった。
着いた先は近所の人が所有する農地で「大きな穴が開いていた」。黒煙が立ち上り、独特の焦げ臭い匂いが充満していた。「野焼きの煙は白いから、すぐに戦闘機が落ちたと分かった」。機械の知識があり、「熱で銃弾が暴発するかもしれない」と、穴をのぞき込むことはなかった。そのうちに警察が来て農地を封鎖し、杉山さんら近所の人たちは現場から追い出された。
民間団体の調査などによると、同日は太平洋上の空母から出撃した米軍機が海軍厚木基地を攻撃。厚木基地の第三〇二航空隊の零戦などが迎え撃ち、双方とも数機が撃墜された。このうち米軍の一機が、杉山さんの自宅近くに落ちたとみられる。操縦士はパラシュートで脱出したとされるが、後に死亡。杉山さん宅に隣接する妙法寺に埋葬された。妙法寺によると、「戦後すぐに米軍関係者が来て、遺骨を持って行った」という。