辺野古移設を強行すれば日本への怒りが広がる──大田昌秀インタビュー-SYNODOS(2015年4月2日)

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以下は、2015年3月11日におこなったインタビューの記録である。インタビュー当日は、翁長県知事がアクションを起こす前だったので、知事を「まだ何もしていない」と批判しているが、大田氏はそもそも国を相手取った法的闘争はきわめて困難な闘いになるだろうと予測している。そして、むしろ県知事はアメリカと直接交渉すべきだと主張する。

文中で大田氏は翁長知事を厳しく批判するが、これはむしろ彼なりの知事へのエールだと理解するべきであろう。

知事選の結果と辺野古移設阻止の戦略からはじまり、普天間返還が発表された96年当時の状況、そして終わりには「沖縄アイデンティティ」と「沖縄独立論」にまで話が及んだ。まさに「生きる沖縄戦後史」である大田昌秀氏からみても、現在の沖縄の状況は、きわめて厳しいものであるようだ。

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もうひとつ言っておきたいのは、トーマス・キングといって、普天間の副司令官がいる。これは辺野古に基地を移す委員会のメンバーでもあるけど、彼がNHKのインタビューに答えて、普天間に作る基地は、普天間の代わりの基地じゃなくて、20%軍事力を強化した基地を作ると言っている。

その強化の中身は何かというと、いまヘリ部隊がアフガン戦争とかイラク戦争行くときに、爆弾を普天間で積めない。いったん嘉手納に行ってから積んでる。非常に不便だからね、辺野古に基地をつくったら、陸からも海からも自由に爆弾を積める施設をつくると。それからMV22オスプレイを24機配備する。

日本政府は最近までね、オスプレイ配備するなんて一切言わなかったわけです。ところが、何十年も前にオスプレイ24機配備するって、もう決まっていたわけです。そうすると、いまの普天間の年間維持費は280万ドルだけども、辺野古に移したら一挙に跳ね上がって、年間2億ドルかかると。これを日本の税金で持ってもらおうと言ってるわけです。

ついこないだ世論調査やったらね、沖縄の83%が辺野古に基地を移すの反対してるわけです。ところが本土は過半数のね、56%が賛成してるわけです。辺野古に基地ができたら、本土の納税者の頭の上にどれだけの財政負担が覆い被さってくるか知らないから賛成してるんでしょう。そんな金があるんだったら、福島の復興を一日でもはやくやるべきですよ。

そのへんの裏側を知らないもんだからね……新聞記者に話しても、載せられないわけです。いろんな新聞記者が来るけどね、東京のデスクで抑えられてしまうわけです。

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昔から、本土と沖縄の間には心理的溝があると言われている。米軍はこれを徹底的に勉強して、1943年ごろ、ニューヨークのコロンビア大学に沖縄研究チームというのを作って、イエールとかプリンストンとかハーバードの教授たちを集めて、徹底的に沖縄研究をやらせたんです。

そのときに一番問題になったのは、日本本土と沖縄の間の心理的な溝。戦争が始まったらその心理的溝を拡大する方向を取ると、米軍は簡単に沖縄を占領できるということに気づいた。対日戦後政策は、海軍省陸軍省が一緒になって作った。ところが、沖縄の戦後政策は、海軍の戦略研究所だけで作ったんです。

20年間、アメリカの公文書館通っているうちに、沖縄関係の機密文書がいろいろ出てきました。それを見て驚いた。戦後なぜ沖縄が、平和条約を締結するときに日本から切り離されたのか、理由がわからなかった。国際政治学者たちが書いた本を読むと、日本が無条件降伏をしたから沖縄が切り離されたと書いてあるわけです。でも、沖縄が戦争を始めたわけでもないし、沖縄だけが降伏したわけでもないのに、なんで沖縄だけが切り離されるかということが、ぼくらには当事者として、ずいぶん長い間疑問だった。

それをぼくは、なんとしても明らかにしたいと、それでアメリカに通い続けて、5年めにやっとわかったわけです。米軍が沖縄に上陸したとたんに、ニミッツ布告といってね、米国海軍軍政府布告第一号です。そのなかに、日本が戦争をしかけたから、それに対応して、軍事戦略上、沖縄を占領する必要があると。それから、日本の間違った国策をつくった軍閥を徹底的に破壊するために沖縄を軍事占領する必要があると、軍事占領の目的がちゃんと書いてある。

そのときに、南西諸島およびその近海を米軍の占領下に置くと。南西諸島とはどこかというと、奄美大島屋久島の下の線になるわけです。口之島のところ。奄美大島は鹿児島県ですよね。それがなぜ奄美も含めて切り離したかというと、ディーン・アチソンという国務長官が記者会見で、北緯30度という線は、純然たる日本民族琉球民族の境目の線だと言ったんです。

そもそも、戦争のときにも、沖縄守備軍司令部というのが首里城の地下にあって、その沖縄守備軍司令部の防衛範囲は北緯30度から南とされた。そこから北の方は本土防衛軍と呼んで、完全に区別していたこともあった。