(筆洗)「偽善者になりなさい」。そう説いたのは、東京大学でフランス…-東京新聞(2015年2月6日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015020602000150.html
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「偽善者になりなさい」。そう説いたのは、東京大学でフランス文学を講じ、門下から大江健三郎さんら逸材を輩出した渡辺一夫さんだ。
「偽善の勧め」という刺激的な題の文で渡辺さんは、善人でも、根はいいのに悪ぶる偽悪者でもなく、偽善者つまり<うわべをいかにも善人らしく見せかける人>になりなさいと説く(松田哲夫編『悪のしくみ』)。
ただし、ただの偽善者ではいけない。条件があるという。誰にもあたりのよい「八方美人」程度では、偽善者としては「下の下」。千人万人を生涯だまし通すような偽善者になるべしと言うのだ。
そう説く前提には、人間の根っこをじっと見つめる目がある。だれしも自分の底をのぞけば、そこには悪人が住みついている。悪人が暴れ出ないようにするには、せいぜい「善人らしく」ふるまい続けようとするしかないではないか、と。
政府は、小中学校の道徳を「議論重視の教科」にする考えだという。「偽善の勧め」など道徳の議論にうってつけの題材だと思うが、政府の案には懸念もある。「教科」にすれば先生が評価することになるのだが、「人間とはどういう存在か、どう生きていけばいいのか」を問う行為に、果たして成績評価はふさわしいのか。
悪い成績では困ると、先生におもねる。そんな「八方美人的偽善者」を育てる道徳教育になっては、元も子もなかろう。