「もうこの時は死ぬと思いましたから…」「ここで何回目かに死…-東京新聞(2014年9月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014091202000143.html
http://megalodon.jp/2014-0912-1538-45/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014091202000143.html

「もうこの時は死ぬと思いましたから…」「ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです」「一番死に近かったのはここだった…死んでいましたね」

政府がきのう公開した福島第一原発事故をめぐる吉田昌郎元所長の調書。吉田さんの証言からにじみ出るのは「死」である。燃料棒は完全に露出しているのに、冷やす水は入らない、入れられない。

「死ぬかと思った」という表現ではなく、吉田さんは「死ぬと思った」「死んでいた」と言い、「我々のイメージは東日本壊滅ですよ」とまで語っていた。その言葉遣いからは、死と破滅が本当に紙一重で存在していた現実が、三年半の時を隔てて迫ってくる。

だが、それは過去の話ではない。原発事故による避難住民は、なお十二万人余。長引く避難生活などで命を落とした「原発関連死者」は、少なくとも千百人を超え、この半年で七十人も増えているという。原発事故による「死」は現在進行形の悲劇だ。

調書で吉田さんは3号機の水素爆発のことも振り返っている。直後に四十人余が行方不明と聞き、事実なら「腹を切ろう」と思ったそうだが、幸い落命した人はいなかった。

「がれきが吹っ飛んでくる中で、一人も死んでいない。私は仏様のおかげとしか思えないんです」。一流の技術者をしてそう言わしめる。それが、制御を失った原発の実相である。

吉田調書・全文をテキスト化 -The Huffington Post Japan(2014年9月11日)
http://huff.to/1CVioxv

吉田調書:HPで公開 菅直人氏ら18人の調書も…政府-毎日新聞(2014年9月11日)
http://mainichi.jp/select/news/20140911k0000e040206000c.html