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戦場だけではなく、「銃後」にも戦陣訓はあったとはいえないだろうか。1937(昭和12)年に制定され、日米開戦に対応して2度改正された旧防空法である。憲法学者水島朝穂さんと弁護士大前治さんの共著「検証防空法」(法律文化社)を読んで思った。
- 作者: 水島朝穂,大前治
- 出版社/メーカー: 法律文化社
- 発売日: 2014/02/07
- メディア: 単行本
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防空とは敵機発見のための監視や空襲警報発令など、都市防衛の備えである。だが旧防空法は制定当初から軍や警察などより、国民にそれを義務付けていた。原爆が投下された広島では、警防団員、防空監視員、医師、看護婦らは市外への疎開を禁じられて防空や救護に従事することを強制されていた、と戦後の公文書にある。
だが、この旧防空法が悪法だとしても、国会の正式な手続きを経て成立している。なぜだろうか。
成立の翌年、言論人の桐生悠々は総選挙を控えて「国民の立憲的訓練」を説いた。彼は当時、自らの論説「関東防空大演習を嗤(わら)う」が反軍的だと攻撃され、主筆を務めていた地方紙を追われた身。防空訓練より先ではないかと、子どもたちが学校で自治や選挙を学ぶことをこの時代に提唱したのは、今にしてみれば卓見だろう。
「立憲」をキーワードに、現実の政治に目を転じてみたい。
集団的自衛権行使容認をめぐる憲法解釈について、「内閣法制局長官ではなく私が責任を持っている」とした安倍晋三首相の国会答弁。立憲主義の否定だとして、先日から物議を醸している。
現憲法は国民の権利や自由のために国家権力を縛る、という立憲主義に基づく。本来、憲法を尊重すべきはどちらなのか。この立憲主義が侵されない限り、いかなる政権下でも防空法のような法律が再び定められることはないと考えるのが常識だろう。
だが、特定秘密保護法のように国民に制約を課す法律が現実になると、少し身構えなければなるまい。戦時下であるかどうかにかかわらず、戦前昭和の立法の歴史に関心を持ち、いま一度、洗い直す必要はあるのかもしれない。